メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 調査および分析シリーズ
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THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

調査および分析シリーズ


 
Inquiry and Analysis Series No 1021 Oct/23/2013

ヒズボラ内に亀裂、シーア派支持層にも高まる批判
―シリア内戦介入が生んだ内部の不和軋轢―
E・B・ピカリ*

はじめに

ヒズボラはシリア政権軍と協力しシリアで戦闘中であるが、この戦闘介入でレバノンのシーア派社会の支持層、そして組織に亀裂が生じた。ヒズボラはシーア派社会をベースとして、レバノンで政治上―大勢力を形成している※1。

ヒズボラは、シーア派社会のなかに営々として勢力を築いてきた。特にダヒヤ(ベイルートの南に拠点を持つ)、北部ベッカー盆地及び南レバノンを勢力圏とする。アメと鞭でくいこんだのである。端的に言えば、脅しと威嚇時に暴力、そして経済的、社会福祉的援助と宗教上の奉仕である。これを使いわけて組織に対する依存心をつくりだした。ヒズボラは社会を牛耳るようになり、イスラエル撃滅のスローガンのもとに、多くの人を民兵隊に組みこんだ。

ところが、シリア内での戦闘介入に関して、親ヒズボラのシーア派内で、批判と留保の姿勢が目立ってきたのである。これには二つの背景がある。第1は保有武器の用途である。従来ヒズボラは、対イスラエル戦のために武器を持つと主張していたのであるが、シリアで使用されている。第2は、シリア介入でレバノンをシーア対スンニ戦争に引きずりこみ、シーア派社会に多大の損害が生じる恐れがある点。この二つの留保問題は、当然戦力の策源池でヒズボラの社会的政治的立場を傷つける。

最近になると、ダヒヤの住民達がヒズボラに怒っているというニュースも、報道されるようになった。この地域が2回も砲撃をうけたのである。シリア領内でヒズボラが戦闘中であり、相手から撃ち返されたということだろう。ヒズボラは、シリアの反徒集団のなかのイスラミストによる砲撃で、今後も続く恐れありと主張した。ヒズボラはダヒヤの防備を増強せざるを得なくなった。

数十ヶ所に道路障害物を設置したのも、防備強化の一環である。レバノンのメディアは、特に3月14日勢力に近い報道機関は、ダヒヤ住民と商人達が、生活妨害も甚だしいとし、この道路封鎖に激怒していると伝えた※2。一方、ヒズボラに近い日刊紙Al-Akhbarのコラムニストのナッザル(Muhammad Nazzal)は、「ダヒヤ住民のなかには、ヒズボラを愛し、組織のため犠牲になる覚悟のある人がいる。しかし、彼等がすべての点で組織に従い最後まで付き合うことはない。これが、ヒズボラの認識する現実である」と書いている※3。

本報告は、ヒズボラ内の亀裂、ヒズボラのシリア軍事介入に対するシーア派支持者の批判、そしてその批判に関するヒズボラの対応を検討する。

ヒズボラ戦士の葬儀(2013年5月15日付Al-Mustaqbal、レバノン)

ヒズボラのシリア内戦闘に対する批判

レバノンのメディアは、親ヒズボラ派、反対派どちらの報道も、勿論バリエーションはあるが、一様に組織内の亀裂、軍事介入に対するシーア派社会の相当な批判、を指摘している。

組織内亀裂に関する報道

ヒズボラ自体は、内部の統制がとれている如き印象を与えるようにしている。本件に関する報告が少なく、極めて一般的な内容であるのはそのためである。2013年6月11日、ヒズボラに近いAl-Akhbar紙コラムニストのクサイフィ(Hiyam Al-Kusaifi)は、「ヒズボラ内では、(シリア)介入のレベルをめぐる意見の不一致から、多くの議論が起きている。これはもはや秘密でも何でもない」と書いた※4。

ヒズボラの前書記長トファイリ(Sheikh Subhi Al-Tufaili)は、イラン政府とヒズボラの対シリア政策に反対しているが、レバノンのテレビAl-Mustaqbalのインタビューで、シリアでの戦闘について組織内に反対があることを認め、「全体的に言えば、ヒズボラはこの戦争に強く反対している。しかしイランの断固とした意志のまえに(やむなく)参戦した」と述べた※5。

日刊紙Al-Safirは2013年7月2日付紙面で、組織のシリア政策に関してヒズボラのメンバー達の間に意見の衝突、少なくとも懐疑的意見があることを、示唆した。本紙によると、2013年7月1日にナスララ書記長が召集した会議で、書記長は「レバノンとシリアにおける過去2年間の(組織の)行動が正しかったことは、いつの日か必ず証明される」と述べた※6。日刊紙Al-Mustaqbalは7月4日付で、言外にナスララを示唆しつつ、「彼は、何度も何度もスタッフを相手に会議を開き、内外の諸問題に関する反対や批判が多いことに鑑みて、書記長としての立場を説明した」と報じた※7。2013年7月7日、サウジ日刊紙Al-Sarq Al-Awsatも、アラブの消息通の話を引用する形で、シーア派社会内の批判をうけてヒズボラが、イランへ代表団を送ることに決めた、と報じた。シリアにおける軍事介入にこれ以上かかわることができない、と伝えるためである※8。

時間を1年前の2012年10月時点に戻してみると、英紙ディリー・テレグラフが2012年10月27日付で組織内での意見の食い違いを報じている。それによると、軍事部門はシリアへの軍事介入を支持し、政治局はこれを拒否している。同紙は、シーア派の消息通の話を引用する形で、この意見の衝突で、指導部選出と政策決定の場である大会(3年に1度開催)が、中止になったと伝えた※9。

ヒズボラを公然と批判し始めたシーア派社会

ヒズボラの内部亀裂に関する報道は少ないが、シーア派のヒズボラ支持者からは多数の批判があり、ヒズボラが懸命に押さえようとしているにも拘わらず、次々と浮上している。その報道も多い。いずれも、ヒズボラのシリア介入に対する憤慨と怒りにみちている。例えばレバノン日刊紙Al-Akhbarの代表取締役アミン(Ibrahim Al-Amin)は、「レバノンには、ヒズボラ支持者のなかで同組織の(シリア)介入に反対している者がかなりいる」と書いた※10。日刊紙Al-Safirによると、ヒズボラ支持者達は、「レバノンの(国内)問題を完全に無視して域内問題にのめりこみ、それと同時に(シーア派)社会の支持を維持していくことなど、いつまでも続けられるものではない」と考えている※11。

反ヒズボラで知られるレバノン紙Al-Mustaqbalの掲載分析によると、この批判はヒズボラメンバーの組織離反や反乱につながらない。組織に近い人々の忠誠心が失われることもない。一方この一連の分析は、ダヒヤのシーア派社会による批判に比べ、ベッカー盆地のシーア派住民のヒズボラ批判は声高であり、相当に大きいとしている。違いが生じた背景は大別して二つある。第一はベッカー盆地社会の部族的構成。そのためダヒヤ社会と比べるとこちらの社会はヒズボラからもっと独立しており、力もある。第二はシリアとの関係である。ダヒヤ住民は、南レバノン解放を支援してくれた国としてシリアを見ている。一方ベッカー盆地のシーア派住民は、シリアの軍と治安機関にひどい目にあっているのである※12。

我々はシリアの内戦に関係ない―組織に怒るヒズボラ戦士の遺族

当初、シーア派社会から発せられる批判の声は、匿名であった※13。しかし、シリアにおけるヒズボラの損害が増えてくるにつれて、シーア派のヒズボラ支持者が、レバノンの新聞に公然と批判の声をあげるようになった。しかし、その声は極めて多いとうわけではなかった。それに、当然といえば当然であるが、批判の声は反ヒズボラ派の新聞特にAl-Mustaqbal紙に掲載された。同紙は3月14日勢力系である。次にいくつか批判例を紹介する。

2013年4月、Al-Mustaqbalがティレ出身でラバブという若いシーア派女性の声をとりあげた。兄がヒズボラ隊の一員としてシリアで戦闘中戦死したのである。「私達はシリアの内戦に何のかかわりもありません。私達の選りすぐりの兄弟達が多数あそこで殺された。それだけの事実関係しかないのです」と言った※14。同紙は、ラキアという女性の話も紹介している。バールベック出身で、息子はヒズボラの将校であったが、クサイル域の戦闘で戦死した。ラキアは、息子の葬儀を前にして、組織指導部を呪いに呪った。その後彼女は、ナスララ書記長に面会して釈明を求めるため、ダヒヤへ行った。要請は拒否された。そこで彼女は、新聞で疑問の声を発し、「ナスララの息子ハディが南部正面で(イスラエルと)戦っているのかしら。それとも、シリア正面で死んでも殉教者として扱われないので、(ナスララはそちらへは)行かせないのかしら」と言った※15。2013年4月末同紙は、ヒズボラ戦士の両親達がデヒヤ南部で抗議デモをしたと伝えた。場所は、組織のシューラ会議ビル前で、息子達の行方と生死の確認を求めるデモだった。組織は軍事訓練のためイランへ送ったと主張した※16.

2013年6月19日、Al-Mustaqbal紙はヒズボラの負傷兵アッバス・マンスールにインタビューした。マンスールは「私はシリアへは戻らない…シリア人は自分の土地を守れる。タクフィル(※17、ここではサラフィ民兵のこと)がレバノンへ来るなら、(レバノン)防衛はシャリーア(イスラム法)上の任務となる」と述べた。同紙はマンスールの母親にもインタビューした。母親は「私は子供を二度とそこへ送らない。それで彼等が私達を許さないというのなら、好きにすればいいさ」と述べ、「ヒズボラ戦士の母親達がナスララ書記長に繰返し何度も面会を求めた。シリアでの戦闘に子供達を送らないよう要請するためだが、いつも面会を拒否されている」とつけ加えた※18。

2013年5月7日、テレビAl-Mustaqbalが、ジャワヤ町の乱闘を報道した。ヒズボラとアマル(シーア派で親ヒズボラ)の支持者達が、ヒズボラ活動家の追悼碑を建てようとするヒズボラメンバー達と衝突したのである。この活動家はシリアで殺され、1ヶ月前この町に埋葬された※19。

前述のように、戦士遺族の憤慨に関する情報は、主として反ヒズボラメディアでとりあげられた。しかし、シリアとヒズボラを支持するメディアでも時々報道されている。例えばシリアに近いAl-Safirは、2013年5月24日付紙面で、クサイルの戦闘で死亡したヒズボラ隊員の父親について、報道している。その父親はヒズボラ出身議員に「シリアの反徒なら(シリアの)政権に抵抗する権利がある」と言った※20。

ヒズボラ戦士の遺影をつけた墓標(2013年6月19日付Al-Mustaqbal)

ヒズボラの針路を疑問視する声

以上のような報道のほか、組織の行動と方向性について疑問視する声も、ヒズボラメンバーと支持者の間で多々聞かれる。好例のひとつが、息子は殉教者なのかという遺族の声である。息子達は信仰上の義務を遂行中に死んだのかという問いで、遺族達はヒズボラ指導部に説明を求めている。Al-Mustaqbalの報道によると、バールベック出身で、ハディジャという名のシーア派女性が、町のヒズボラ幹部に自分の息子は殉教者とみなされるのかと問い質し、同じバールベック出身のラキアのような息子を失った母親達は、シリアで殺された者は殉教者とは考えられない、と断言している※21。同紙によると、ダヒヤのシーア派の間でも、疑問が発せられており、彼等の使う用語にそれがにじみでているという。2006年の対イスラエル戦(第2次レバノン戦争)時、ヒズボラ活動家は抵抗の若者≠ニ呼ばれたが、今では単に戦士∴オいである。更に2006年の戦争で戦死者は殉教者≠ニ呼び、現在の戦争では単に戦死者≠ニ呼ばれている※22。

戦争の正当性を疑問視する態度は、葬儀の性格にも反映している。或るダヒヤの住民は同紙に「かつて私達は殉教者(対イスラエル戦で殺された)として歓喜し、米をまいて迎えたが、今では死者を嘆き悲しんで迎えている」と語った※23。

しかし、親ヒズボラ紙特にAl-Akhbar,紙には、シリアに対する介入を正当化する記事が、沢山掲載されている※24。この新聞の代表取締役アミン(Ibyahim Al-Ami)が、2013年6月8日付でヒズボラ支持者向けに書いた記事はその例で、「(ヒズボラ戦士)の血は(シリアで)無駄に流されているのはない。当地に行った戦士は傭兵ではない」と主張している※25。

批判をうけるヒズボラの対応

シリア内戦介入を正当化し批判を抑える態度

ヒズボラの政治・軍事基盤は、レバノンのシーア派社会であるから、その社会の支持を失うのは組織にとって―大事であり、ヒズボラは大変憂慮している。そこで、シリアへの軍事介入を正当化する一方、批判を抑え、少なくも極限化しようとする。

批判抑えの主な手段が、親ヒズボラ紙を通した戦闘介入の正当化キャンペーンである。Al-Safirそして特にAl-Akhbarが、沢山記事をだしている。軍事介入を支持し、遺族は介入の正しさを認識しているといった類いの内容である。軍事介入は、抵抗運動に強く求められた選択の余地なき戦い≠ニ説明される。更にヒズボラは、シリアにイスラミスト及びジハデーィス運動が存在することを強調する。レバノン社会にとって脅威であり、その存在がヒズボラを中心に社会を結束せしめる結果となる。ヒズボラはこのような論法で正当化する。2013年5月25日、ヒズボラのナスララ書記長はイスラエル国防軍の南レバノン撤収記念日にあたり、「シリア諸省特に特にレバノン国境域に対するタクフィリ集団の支配は、レバノン国家、レバノン国民そしてレバノンの抵抗勢力にとって危険である」と語った※26。

ヒズボラは批判を抑えるため、さまざまな手を使っている。情報を隠し、心理的圧迫を加え、遺族に対する財政援助をやり或いはイスラミストの恐怖を植えつける。住民を威嚇し暴力を加えることもある。

最近までヒズボラは、活動家がシリアで殺されている事実を隠し、何処で死亡したかを告示せずレバノンで密かに埋葬した。「ジハードの任務遂行中に死亡」と述べるだけである※27。今回の戦闘中ヒズボラは遺族に対しても事実を隠していた。シューラ会議ビルの前で真相を求める抗議デモにみられる通りである※28。死亡戦士の姉ラバブは、弟はイランで訓練をうけているとばかり思っていた、と言っている※29。Al-Mustaqbalは2013年5月22日付紙面で、ヒズボラが外国メディアによる遺族インタビューを禁じている、と報じている※30。

悲嘆に暮れる母親達に心理的圧迫を加えるのも、常套手段のひとつである。レバノンの或るシーア派の人がAl-Mustaqbalに「活動家がシリアで殺されると日夜を問わず数十数百名の女性が母親の家を訪れて手伝いをする。女性達は嘆かない。むしろ息子の死を受入れよと励ます。息子さんは天国にいるのだから、喜ぶべきよというわけである…まわりの環境が母親に圧力を加える。そして母親は、ヒズボラが息子をシリアの何処の戦場へ連れて行ったのか、聞けなくなるのだ」と語った※31。

ヒズボラは、口封じに金を渡すこともある。Al-Mustaqbal紙は、南レバノンの消息筋の情報として、ヒズボラが遺族に金をやっていると伝えた※32。反ヒズボラとして知られるウェブサイトNow Lebanonは、南ダヒヤ住民の話を引用し、いやがる者をシリアの戦闘へ送りこむため、ヒズボラが給料を3倍にしている、と伝えた※33。一方Al-Mustaqbal紙は、同組織が戦場行きを拒否する者の給料を半分にした、と報じている※34。

暴力と脅迫で批判封じ

以上の対応のほか、ヒズボラは批判者に暴力をふるい、或いは脅迫して口封じをしている。批判がソーシャルメディアで拡散するのを防ぐためである。脅迫の対象になっているのは、シリアでの軍事介入の前からヒズボラに反対していたが、恐ろしいので沈黙していたシーア派の人々が主であった。今や支持者の間ですら組織批判が増えているので、彼等は段々と大胆になり、自分の意見を公然と表明するようになった。

Al-Mustaqbal紙は、脅迫の実態をこれまで数回報道している。批判者の家に火をつける。家族を脅迫し、逮捕し村へ戻さない。人質にとった家族の殺害を口にする等である。同紙の掲載記事によると、ヒズボラ批判者のフェースブック・ページにログオンするシーア派の人達が増えている。しかし、報復を恐れて偽名を使っているという。同紙によると、ヒズボラは反対派をつきとめて脅迫し、遺族が自分達の気持ちを公けにしないよう葬儀に活動家を送りこんで威嚇している※35。

マルワ・アリク(Marwa Aliq)の体験は、ヒズボラが使うテロ手段を明らかにする。マルワは、ラミ・アリクの姪である。ラミはシーア派ジャーナリストで、1990年代にヒズボラを離れ、反対派の立場で報道するようになった人である。マルワは、ナバティア地区のYohmor Al-Shaqifの出身で、シーア派の女性。自分のフェースブック・ページに「ナバティアの息子達よ。バールベック、ヘルメル、南ダヒヤ、イクリム・トゥファ、ティレ、ビントジベイル、マルジ・アユンの息子達よ。シリアへ送られ無駄死をした息子達よ。あなた方の父親の涙は、バシャル・アサドとその家族よりも貴い。あなたの友の涙は、数千の暴力政権よりも貴い。あなたの母親の涙は、ザイナブの墓(ダマスカスにありヒズボラが守っている)よりも貴い」と書いた。マルワは、ザイナブ云々の件は詫びて撤回した。しかし謝罪では充分でなかった。ザイナブ(Sayyidah Zaynab)敬愛旅団という団体が父親の追放を求めるコミュニケをだし、覆面をした男達が家と自動車を襲撃した。マルワ自身は、自分のフェイブックを閉じ、家族は町を出た。マルワの体験を記事にしたAl-Mustaqbal紙は、ヒズボラ反対派の人々の多くは、ヒズボラがハックするなど、報復を恐れて、フェースブックに自分の意見開陳を控えている、と書いている※36。

マルワ・アリク(Al-Mustaqbal紙)

ヒズボラの脅迫法の事例は、Al-Akhbar,の報道にも見られる。2013年6月9日、アサード(Ahmad Al-As`ad)に率いられた反ヒズボラのシーア派集団であるが、レバノン帰属運動が、ベイルートのイラン大使館前で抗議デモを行った。その時参加者のひとりハシェム・サルマンが、ヒズボラのレバノン介入反対を叫んでいる時射殺され、ヒズボラ支持者達が襲いかかり、サルマンの友人達に殴る蹴るの乱暴狼藉を働いた。サルマンの出身地である南レバノンのアドロウン住民達は、「南部ではひとつの意見(即ちヒズボラ)の支配に恐怖している」という。同紙はサルマン家の話を引用し、「ヒズボラがアサードに葬儀の参列を控えよと威嚇したが、アサードは参列した」と報じた※38。

*E・B・ピカリはMEMRIの研究員

[1] ヒズボラのシリア介入を批判するレバノンのシーア派個々人の意見は、次を参照 MEMRI Inquiry & Analysis Series Report No. 938, Independent Shi'ites In Lebanon Challenge Hizbullah, February 22, 2013.

[2] Al-Mustaqbal (Lebanon), September 14, 2013.

[3] Al-Akhbar (Lebanon), September 13, 2013. 道路封鎖に対する怒りは遂に暴力事件に発展した。ダヒヤに近いブルジバラジネ難民キャンプのパレスチナ人達と、道路封鎖物を守るヒズボラ活動家達が、乱闘したのである。北東レバノンのバールベック付近でも、道路障害物を守るヒズボラ活動家と当地のスンニ派住民が、2013年9月28日に乱闘を演じた。 最近ヒズボラは道路封鎖の監督と管理を国に移した。住民との緊張緩和のためと思われる。

[4] Al-Akhbar (Lebanon), June 11, 2013.

[5] Al-Mustaqbal (Lebanon), April 25, 2013.

[6] Al-Safir (Lebanon), July 2, 2013.

[7] Al-Mustaqbal (Lebanon), July 4, 2013.

[8] Al-Sharq Al-Awsat (London), July 7, 2013.

[9] Daily Telegraph (London), October 27, 2012.

[10] Al-Akhbar (Lebanon), April 23, 2013.

[11] Al-Safir (Lebanon), July 11, 2013.

[12] Al-Mustaqbal (Lebanon), April 23, 2013; May 1, 2013.

[13] 例えば次を参照。南レバノンの住民達が匿名で批判している事例が紹介されている。 daily Al-Mustaqbal on May 15 and 16, 2013.

[14] Al-Mustaqbal (Lebanon), April 10, 2013.

[15] Al-Mustaqbal (Lebanon), April 30, 2013.

[16] Al-Mustaqbal (Lebanon), April 30, 2013.

[17] 不信心者の意。他のムスリムを背教者と非難するときによく使う。

[18] Al-Mustaqbal (Lebanon), June 19, 2013.

[19] Al-Mustaqbal (Lebanon), May 8, 2013. 1週間後同紙は、南部のアマル支持者の多くがヒズボラのシリア介入を不快に思っている、と報じた。 Al-Mustaqbal (Lebanon), May 15, 2013.

[20] Al-Safir (Lebanon), May 24, 2013.

[21] Al-Mustaqbal (Lebanon), April 30, 2013.

[22] Al-Mustaqbal (Lebanon), April 23, 2013.

[23] Al-Mustaqbal (Lebanon), April 23, 2013.

[24] 次を参照 MEMRI Inquiry & Analysis Series Report No. 980, Lebanon Openly Enters Fighting In Syria, June 13, 2013.

[25] Al-Akhbar (Lebanon), June 8, 2013.

[26] Al-Nahar (Lebanon), May 25, 2013.

[27] 次を参照 MEMRI Inquiry& Analysis Series Report No. 916, Struggle Between Forces Within Lebanon Is Reflected In Their Involvement In Syria, January 3, 2013.

[28] Al-Mustaqbal (Lebanon), April 20, 2013.

[29] Al-Mustaqbal (Lebanon), April 10, 2013.

[30] Al-Mustaqbal (Lebanon), May 22, 2013.

[31] Al-Mustaqbal (Lebanon), May 1, 2013.

[32] Al-Mustaqbal (Lebanon), May 1, 2013.

[33] Now.mmedia.me/lb/ar, May 10, 2013.

[34] Al-Mustaqbal (Lebanon), May 24, 2013.

[35] Al-Mustaqbal (Lebanon), May 31, 2013; June 5, 2013.

[36] Al-Mustaqbal (Lebanon), May 23, 2013.

[37] Al-Akhbar (Lebanon), June 11, 2013.


 

 

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