メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 調査および分析シリーズ
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THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

調査および分析シリーズ


 
Inquiry and Analysis Series No 808 Mar/27/2012

危機に直面するイラン・ハマス関係
―武力抵抗を放棄したとしてハマスを非難するイラン―
A・サヴィヨン、Y・マンシャロフ*

はじめに

 2012年2月6日、ハマス政治局長マシァル(Khaled Mash'al)が、ドーハでファタハとの協定に調印した。PAのアッバス議長を首班とする民族統合政権の樹立に関する協定であるが、直ちにイランがハマス指導部に警告を発した。レジスタンス≠フ道を放棄したヤセル・アラファトの轍を踏むなというのである。同じようにイラン半官紙も、協定調印の廉でマシァルを攻撃した。

 2月24日、ガザのハマス政権のハニヤ首相が声明をだし、シリアの反アサド運動を支持する旨発表した。これに対しイランの指導部からは公けの反応がなかった。しかし、政権の中間層からは―大半がコラムニストであるが―ハマスの裏切りに怒りを爆発させた。イランとアサド政権に対する恩義≠忘れているというのである。彼等の論説には、テヘランの抱く恐れが反映している。つまり、ハマスがアラブの王政諸国と和解すれば、レジスタンス枢軸≠ノ手痛い打撃を与える。論説員達は、テヘランのこの恐れと困惑を反映し、カタールとサウジがハマス指導部に圧力をかけた結果、ハマス政権の立場が変ったと説明、オイルダラーを使ってハマス政権の立場を変えさせ、テヘランとレジスタンス枢軸から離反させたとして、このアラブ富裕諸国即ちカタールとサウジを非難した。

 ハマスの後見役を以て任じてきたイランは、アサド政権の直面する重大な状況に加え、手先特にアラブ・スンニ派のハマスに対する影響力喪失によって、テヘラン/ダマスカスレジスタンス枢軸が崩壊することを恐れているようである。ハマスの指導部は既にダマスカスを退去している。それでテヘランは、ハマス指導部の戦略的決断を、相当狼狽しながらフォローしているところである。アラブ富裕国カタールとサウジの影響で、ハマス指導部がファタハの権威を受入れ、イスラエルと協定を結ぶ可能性すらある、とみているようである。以下、ハマスの動きに対するテヘランの動静報告である。

ドーハ協定に対するテヘランの反応

アラファトの過ちを教訓にせよ―ハニヤに警告したハメネイ最高指導者

 2012年2月12日、ハニヤとの会談で、イランの最高指導者ハメネイは、レジスタンス問題で妥協しようとする分子を運動から追放するように、公けに要求した。それは、マシァルの対ファタハ和解を問題視した発言であった。ハメネイは、マシァルに警告を発し、ハマスがレジスタンスの道を放棄したアラファトを真似るならば、アラファトと同じ運命に陥ると述べ、「レジスタンス組織が宥和派の浸透で骨抜きにならないよう、厳重な対策が必要である。それは、衰弱死に至るからだ」と言った※1。

 数日後、コムの宗教セミナリーに近い保守系紙Jomhouri-ye Eslamiが、アラファトに関するハメネイの言葉を伝えた。ハニヤに対してハメネイは、「ヤセル・アラファトの末路から教訓を学びとらなければならない。アラファトは、確固たる抵抗の道を進んで評価されていたが、その道を放棄したため諸国民によって排斥されたのである。レジスタンスと確固不動の信念を貫いて初めて、指導者は人民の支持を得る。この二つこそ最大の力である、しっかり守っていかなければならない」と言った※2。

 ハメネイはハニヤに、「パレスチナの大義はイランとイスラムの大義である」から、テヘランはパレスチナ側に立ってレジスタンスを支援していくと約束、パレスチナ人にレジスタンス堅持を促し、「我々は、あなたを初め(ファタハ内の)多くの兄弟達が不動の精神を堅持することを、信じて疑わない。人民がパレスチナのレジスタンスに期待するのは只一つ、不動の精神である」と結んだ※3。

ハマスの動きに関するイラン側の解釈

1)ハマスの将来は不透明―イラン外交官

 イランの前駐ヨルダン及びレバノン大使イラニ(Mahmoud Irani)が、ウェブサイトDiplomacy.irに寄稿した。それは、最近のハマスの動きに対するイランの困惑を示す内容であるが、ハマス指導部の危機に対処するには、慎重を期すべし、と当局に注意を喚起している。マシァルの辞任、本人を初めとする政治局長達のダマスカス脱出、ハマス運動とカタール及びトルコとの接近等めまぐるしい変化があり、今後の動きが判らなくなっている。そう主張するイラニは、ハマスの動きに関してイランにはさまざまな見方がある、と指摘する。悲観論者は、この運動が次第に政党化して、イスラエルに対する武力闘争を放棄する、トルコとカタールに接近しているのはそのためだ、と主張する。悲観論者の信じるところによれば、ハマスはPLO或いはファタハとの民族統合政権のなかで、指導的地位にたつように努める。一方楽観論者は、中東北アフリカ各国でムスリム同胞団が勢力を拡大しており、これでハマスが力をつけていると見る。その結果増大した力を背景にハマスは、トルコ、エジプト、リビア、イエメンと関係を強め、この地域の有力なプレイヤー、ファタハと拮抗する運動として、存在感を強めていると考える※4。

2)ハマスの関心事はパレスチナ人の権益にあり―イラン改革派

 2012年3月2日、日刊紙Etemadで改革派のアブディ(Abbas Abdi,元政府高官)は、ハマスの立場を認識せよ、と政府当局に呼びかけた。彼によると、ハマスの第一の関心事は、パレスチナ解放にある。アサド支持は最早ハマスの利益にならないと考え、アラブ世界の変革に合わせたのである。ハマスの活動の民族的側面とイスラム的側面を区別して、今後はこの運動との関係を維持せよ、とアブディは当局にアドバイスし、次のように書いている。

 「ファタハは、パレスチナの利益を第一に考える民族勢力として知られてきた。一方ハマスは、(パレスチナの地)解放闘争のみならず、超国家的信念とイデオロギーに基く活動をしている。そのため、イランの公式政策は、思想上似ている運動即ちハマスを強化していくことにあった。しかしながら、本当のところファタハとハマスはパレスチナの大義と権利で意見を異にしているわけではない。ゴールに到達する方法で違いがあるだけである。

 数年前、サッダム・フセインが処刑された時、ハマスとガザ住民はフセインを擁護した。つまり。これは、PLOと同じようにハマスは、イスラムを守るより…パレスチナの権利を守る方にもっと関心があるということである。当時我々は、(サッダム支持は)単なる感情的な反応であると信じていた。しかし今日ではどうであろうか。ハマスは、ダマスカスから政治局を引揚げ、シリアの政権に背を向けて、意志表示をしているのが読みとれる。つまり、民族の権益と人民の権利を守ることが、政治勢力の主たる関心事であり、味方と敵を選ぶ話はこの次になる。従って、シリアの政権を支持することがこの権益と権利を傷つけるのであれば、たといシリアの政権が過去に支援し、政治局に場所を提供し、資金と兵器を供給し、武力闘争に便宜を与えてきたとしても、ハマスはシリア支持をさし控える。

 イランは、パレスチナの大義に対する実行性のある政策をもつためには、民族的側面とイスラム的側面の間に一線を画し、対パレスチナ関係でミスを犯すことを避け、パレスチナ人は利己的であるという間違った認識を持たぬようにしなければならない…」※5。

 Tehran Timesのコラムニストであるルイバラン(Hossein Ruivaran)は、イラン外務省の代弁者として知られるが、逆のことを主張する。つまり、ドーハ協定は、ハマスとファタハの真の連帯を示すものではないという。二つの運動は、イデオロギー上基本的な違いがあり、協定は双方に政治的な息つきの暇を与えるにすぎない。ハマスがレジスタンスの道を放棄することはない、とルイバランは主張する※6。

3)レジスタンス枢軸離脱をハマスに警告する前駐ダマスカス外交官

 イランの駐シリア大使館で文化担当として活動していたネマツァデー(Morteza Nematzadeh)が、2012年2月26日にウェブサイトAsr-e Iranのインタビューをうけ、「多くの圧力、特に支持基盤であるムスリム同胞団、そしてアラブ諸国から多大な圧力をうけた」結果、ハマスは反アサド派についたと述べ、次のように強調した。

「サウジとカタールを初めとする多くのアラブ諸国は、シリアにおけるレジスタンスに宗教的性格づけをしたい…ハマスはしばらくその圧力にさらされていたが、公式に立場の転換を認めたわけではなかった。メディアが、勝手にそう決めつけたのである。アズハルにおけるハニヤの講演をあたかもハマスの転向のように、伝えたのである。

 ハマスがアサドをはっきり非難しているわけではない。シリア人民のインティファダであるとは言っているが、政権を直接非難してはいない。我々は、ハマスが完全にシリアの政権に背を向けたとの印象をつくってはならない。

 それでは、ハマスの現在の立場が対イラン関係にどんなインパクトを与えるのだろうか。短期的には影響はない。しかし、このまま事態がどんどん進み、公式に反レジスタンス陣営への参加を表明するならば、ハマスとイランの間に問題が生じる。現在の状態では問題がない…我々は、ヒズボラとハマスがイランに対して同じスタンスをとる、と考えてはならない。イラン・ヒズボラ・ハマス連帯は、共同の枠組をベースにしているが、この枠組が崩れると、一連の新しい状況が生まれてくる。

 ハマスがこのまま反シリア路線を進めば、イラン・ハマス関係にどう影響してくるかという質問であるが、ハマス内部には、イスラエルに対するジハードと武力闘争を放棄して話合いによる平和的解決を求める流れがある。ハマスがこの立場をとり、或いは反シリア姿勢を強めるならば、レジスタンス枢軸から離脱し、新しいバランス・オブ・パワーが出現するだろう。

 アラブ世界の革命に続いて、ムスリム同胞団が政治の世界に踊りでて公式のプレイヤーとなり、イスラエルに対して攻撃性を前面にださない立場をとっている。ハマスも同じような立場をとるかも知れない。ハマスの対シリア姿勢と武力闘争の立場が変れば、これはイラン・ハマス関係に根本的なインパクトを与える」※7。

4)ハマスの声明はレジスタンス枢軸を傷つける―イラン高官

 ハマスの態度を激しく非難するイラン側高官で、一番の上級者がアルイスラム(Hossein Sheikh Al-Islam)である。パレスチナ人インティファダ支援国際会議の事務総長、イラン議会ラリジャニ議長のアドバイザー、イランの駐シリア前大使という肩書を持つ。2月27

日イランのMehr通信のインタビューで、アルイスラムはシリアに対するハマス指導部の恩知らず≠非難すると共に、イランの憂慮を示唆した。つまり、ハマスが反アサド陣営と手を組めば、レジスタンス枢軸を維持しようとするシリアの戦略を傷つけるわけで、アルイスラムは、ハマスが昨今の苦境下でアラブ諸国の圧力に屈した、と述べ、次のように主張している。

 「ハマスは、(エジプトの)ムスリム同胞団を母体として生まれ、この運動の一支部である。しかし、ハマス誕生の地はシリアであり、更にシリアはさまざまな便宜を与えてきた。ほかの国が尻込みして提供しなかったのに、シリアはハマスに活動の地を提供し、その活動を後押し、2008年のガザ戦争では支援した。

 ハマスは(しかしながら)圧力に抗しきれず、やがて反(アサド)の立場を表明した。これはハマスにとってきわめて危険な動きであった。(この運動は)各国の国内事情と極力距離をおき、パレスチナ問題に集中すべきである。何故ならば、この立場特に反シリア声明はレジスタンス枢軸をいちじるしく傷つけるからである。まことに遺憾なことに、シリアがハマスを支援してきたにも拘わらず、この反シリア声明がだされたのである」※8。

 アルイスラムは、2012年3月1日にDiplomacy.irで、ハマスを失うのはレジスタンス枢軸にとって非常な打撃になると述べた※9。

ハニヤとハマスは忘恩の徒―体制派政治評論家の批判

 イランの体制派政治コラムニストで保守系通信社Mehrの論説委員ハニザデー(Hassan Hanizadeh)は、2012年2月25日付で、「ハマスの歴史的過ち」と題した記事で、困難な時にハマスがイランに対して恩知らずの行為に走っていると非難した。この記事は、保守系ウェブサイトAsr-e Iranに掲載され、ハニヤ個人を痛烈に批判し、ファタハとハマス双方のパレスチナ指導部の犯した歴史的過ちを列挙して、サウジとカタールがパレスチナ人の権益に反したことをしている、と主張した。以下その記事の主なポイントである。

 「既に判っていることであるが、シオニスト体制の成立以来この64年間、パレスチナの政治指導部は歴史から何の教訓も学ばず、同じ過ちを繰り返している。パレスチナ指導部の犯した最初の歴史的過ちが、アラブ世界の指導者達の策略を信じこんだことである。(1948年に)すぐに戻れるから一時パレスチナから退避せよと信じこませ、信じこんだパレスチナ人達は、短期間のことと思いこみ、レバノン、シリア、エジプト、ヨルダン、イラクへ出て行ったが、(パレスチナへ)戻ることはなかった…。

 ハマスは、1987年に投石インティファダを以て闘争を開始、ムスリム大衆の間で或いはパレスチナで高い地位を獲得した。ファタハ戦士は、地域のみならず国際的バランスをひっくり返した。しかし、ハマスの指導者達は、歴史的過ちを犯した。

 サウジ、カタール、ヨルダンの指導者が、ハマスに武力闘争の局面を脱して、(パレスチナ)政府の樹立局面に入るように求めている。2005年、ハマスは(ガザにおける)議会選挙に立候補者をたてた。革命政権の樹立がイスラエルを更なる譲歩に追いこむ、と信じてのことであった。ハマスは、議席の大半をとり政権を樹立した。しかしアラブ諸国の首脳は、前言をひるがえし誰ひとりとしてハマス政権を公認しようとしなかった。

 今日、ハマスは再び戦略的過ちを犯しつつある。サウジ、バーレン、カタール、アラブ首長国連邦の欺瞞にみちた空しい約束と交換に、闘争でかち取ったものを犠牲にしようとしているのである。

 実際のところハマス政権のハニヤ首相は、アラブ世界の情勢変化をうけて、アラブ数ヶ国とイランを訪問した。エジプトのムバラク政権、チュニジアのベンアリ政権、リビアのカダフィ政権が打倒され、ファタハにとっては不利益ハマスにとってプラスの環境が生まれた。アッバス議長率いるファタハはエジプト、チュニジア及びシリアの伝統的な盟友を失い、関係修復を求めてハマスに接近した。一方ハマスの指導者達は、シリア情勢が手に負えない段階に達したと判断、将来変動があると考えたのである。そのため、ペルシア湾岸諸国とファタハの指導者達に身をゆだねた。

 最近ハマスの指導者達(ハニヤ、マシァル及びマルズク)とPAのアッバス議長が、ドーハとカイロで会談した。その一連の会談はパレスチナ人とリンクした内部の案件であったものの、アズハル大でのハニヤの講演時に起きた事件は、その域を越え、イラン国におけるハマスの地位を弱めてしまった。

 イランは、過去33年間パレスチナの抵抗運動を惜しみなく支援してきた。そのため多大なる代償を払った。世界の諸国民がよく知るところである。非難攻撃は数知れず、経済制裁、イラン・イラク戦争(1980−88)、イラン資産の没収、政治的孤立化の試み等々。数えればきりがない。パレスチナの解放運動特にハマスに対して支援してきた結果、イランは大きい苦しみを味わったのである。

 ところが、カイロのアズハル大でハニヤが講演した時、サウジのオイルダラーに影響をうけている或るグループが、反イランのスローガンを叫び始めた。それでハニヤ首相が何かしたわけではない。サウジのサラフィ傭兵達がいきなり“イランもヒズボラも御免だ”と叫んだ。するとハニヤは、何も言わずニヤリと笑った。同調しているように見えたのである。

 ハニヤは、サウジの金に惑わされた無知蒙昧のサラフィ傭兵達に、教えさとすべきであった。つまり、イランとヒズボラがなければ、ハマスもパレスチナも今日存在しないということを、きっちり教えるべきであった。1967年6月の6日間で、イスラエルはエジプト及びシリア領を8万平方キロも占領した。レバノンの8倍である。しかるに2006年のレバノン戦争では、イスラエルは前代未聞の大敗北を喫して退却した。ハニヤはこの点を指摘すべきであった。

 しかし、非常に不幸なことにアズハルのサラフィ大会における(2012年2月24日の)金曜説教で、ハニヤは反シオニストのシリアに対して、手きびしい言葉を浴びせ、この政権に反対するサラフィテロリスト支持を表明した。最低でもハニヤは、この60年間シリアが50万のパレスチナ人に居住を認め丁重に扱ってきたことに対し、感謝の気持を表明すべきで、アサド政権については、少なくともバランスのとれた態度をとるべきであった。

 ハニヤが、アラブの春は酔払いのように歌い旧友を忘れる時と考えるならば、再び歴史的過ちを犯すことになる。アラブの政府首脳がパレスチナ人民に忠実であったことはなく、今後も絶対ないからである。

 サウジ、カタール、バーレン、アラブ首長国連邦のカメレオン的指導者達が、パレスチナ問題を解決することはない。これは、不透明性の強い政治、国際及び安全保障のからんだ複雑な問題で、彼等の理解の域を越える。彼等の頭脳水準では手に負えない。

 ハニヤとハマスの同志達は、イラン国家が非常な経済的苦境の時も国際封鎖下におかれた時も、パレスチナ人民を支援してきた事実、を忘れてはならない。イラン国家の政治・社会用語集では、忘恩が最も恥さらしの部類に入ることを、忘れてはならない。

 2009年のクードスディ(エルサレム・ディ)の行事の時※10、忠実を宗とする偉大なイラン人民は、“ガザもレバノンも御免だ”と叫んだ少数の者(イラン国内の抗議運動の支持者)を沈黙せしめた。そしてイラン人民は、ハニヤが“イランもヒズボラも御免だ”と叫んだ者共を、同じように沈黙せしめると期待したのである」※11。

アサド政権打倒はハマスの為にならない―ウエブAlefの主張

 2012年3月2日、イラン議会の保守系議員タバコリ(Ahmad Tavakoli)と密接な関係にあるウェブサイトAlefに、コラムニストのサダカット(Yahya Sadaqat)が、ハニヤを忘恩の徒と糾弾する記事を掲載し、反アサド派はイスラエル問題でハマスと同じ立場に立っているわけではなく、アサド打倒がハマスにとって好都合になるわけでもないと主張。レジスタンス枢軸が危機に瀕するとイラン当局の憂慮を指摘し、次のように論じた。

 「エジプトにおける会合で、ガザのハマス政権首相ハニヤは、アサド政権に剣の切っ先を公然とつきつけ、自分の権益が保障されない限り黙ってはいないと述べ、アサド政権をとげとげしい口調で批判した。(しかし)ついこの間まで同じ地で安全且つ落着いて居られたのは、一体誰のおかげか。(今では)流血の惨を演じているとハニヤが呼ぶ政権のおかげではなかったのか。忘恩もはなはだしい。

 左様。ハニヤよ。この地域の世論によると、君は記憶喪失症である。君は180度転換した。舌の根も乾かぬ内に、前に行ったことと全く逆のことを言っているのである。シリア情勢が悪化していると見るや、たちまち豹変したわけだ。しかし、君が知っておかなければならぬことがある。それは、シリアの反体制派がアサド政権を打倒しても、彼等は君を支持しないし、イスラエル攻撃の発進地としてシリア領の使用を許すこともない、ということである。誇張でも何もでもない。これが現実である。シリアの反体制派は、イスラエルに関して君達とは考えを同じくしていない。

 君達の記憶はすぐ消える。一体どういうことだ。どの国もどの政権も君達の正式認知に同意しなかった頃、君達が(今や)抑圧者と呼んでいるこの政権は君達を支持し、大統領に対すると同じ礼遇を以て迎えたのである。ところがこの微妙な状況下で君達は一番古い盟友を見棄てた。そして、縁をきる。途方もない話ではないか。

 ハニヤ氏よ。無辜の人々を虐殺するのは、どの世界でも許されないのだ。相手がムスリムであれキリスト教徒或いはユダヤ人、無神論者であれ、人は人である…皆判っているが、ハニヤの講演は、シリア人民の支持に誘発されたのではない。個人的に清算するのである。それでどうなるというわけではない。レジスタンス枢軸を弱めるだけではない。君達は、支援基地としてのシリアを失う」※12。

サウジの圧力に屈したハニヤ―Asr-e Iranの主張

ウェブサイトのひとつAsr-e Iranは、「カイロにおけるハニヤの発言はハマスがアサド政権と正式に縁を切ることを表明したもの」とする※13。一方、別のウエブサイトTabnakはサウジとカタールが資金援助をちらつかせて圧力をかけた結果と説明し、「この二ヶ国は、チュニジアで開催された“シリアの友人”会議の失敗を隠蔽しようと画策している」と主張する。Tabnakの説明によると、サウジとカタールは、ドーハ会議で打撃をうけた。それは、シリアに対する軍事オプションは検討課題にないとするクリントン米国務長官の声明に起因するものであるが、その打撃から目をそらすには、方法はひとつしかない。即ち、政治上シリアの政権から離脱したとハマスが発表することである※14。

 反体制派指導者カロウビ(Mehdi Karroubi)は、この1年間イラン政権の命令で自宅監禁の状態におかれてきたが、この人物につながるウェブサイトSaham Newsは、アラブ諸政府がアサドに対して圧力を徐々に強めつつあり、カイロにおけるハニヤの発言は、その流れのなかにある、と説明する※15。

 改革派の知識人ジバカラム(Sadeq Zibakalam)は、自分のウェブサイト及び改革派の新聞Sharqで、次のように分析する。

 「ひとつの人民運動としてのハマスは、アラブ世界の大衆と距離をおくことができない…ハマスは、シリアの危機については、極力中立の立場をとろうとしてきた。しかし、シリア情勢が変化し、反アサド派がエジプト及びチュニジアのイスラミストから支援をうける状況になって、やむなく立場を明らかにしたのである。

 マシァル政治局長が最初に立場を明らかにしたのは、決して偶然ではない。マシァルはダマスカスに居り、血で血を洗う騒乱を目のあたりにしたのである。(やがて)ハマス指導部はダマスカスからヨルダンへ移った。ハニヤは、イランがハマス指導部の心変りをよく思う筈がないのは、判っていたから、テヘラン訪問時に恒久不変の反米、反イスラエルのスローガン、ジハード貫徹のスローガンを以てテヘラン側の機嫌をとろうとした。テヘランが、ハマスの方向転換を無視するとは考えられない。

 地震がアラブ世界をゆさぶり、そのアラブ世界は民主々義を模索し始めた。ハマスの指導者達はそれを無視できなかった。彼等は、自分達の将来がアラブ世界の動向にかかっていると認識している。アラブのアサド批判という圧力に従わざるを得なかったのである…。

 ハニヤは、パレスチナの将来が、反西側の過激主義ではなく、アラブ世界における人民の親民主々義運動にかかっていることを、心の中ではよく判っているのである」※16。

マシァルはハマス分裂の危機を作った―保守系イラン紙

 イランの日刊紙Jomhouri-ye Eslamiは連載記事で、ドーハ協定でマシァルがファタハとカタールの引立を得た、と主張した。同紙は、ハマス指導部を分裂の危機にさらし、運動の主義を裏切ったとしてマシァルを非難し、カタールのオイルダラーにつられたとしてハマスを批判した。

 同紙は2012年2月15日付記事で、ザハル(Mahmoud Zahar)を含むハマス幹部達のドーハ協定批判が「ハマスの内部抗争の始まり」とし、次のように主張した。

 この内部抗争が将来を決する…(協定批判は)ハマスのマシァル政治局長が幹部達の支持を失い、影響力も喪失したことを意味する。最早自分で重要な決定ができない。幹部達の同意がなければ、何もできないということである。この新しい視実は、ハマスの内部構造に影響し、さまざまな問題をつくりだす。シオニスト政権のまさに望むところである。シオニストは、内部に不和軋轢の種をまいて、強力なパレスチナ運動を弱体化しようとしてきた…。

 ファタハは、石油収入で豊かなカタールのシェイク達と組んで、その任務を遂行したようである。そして罠に落ちたハマスをののしっている。シオニストのまさに望むところである。パレスチナにおける最強の反シオニスト・レジスタンス運動であるハマスの弱体化が、ファタハ運動とその議長アッバスの望む主要ゴールである。ハマスの指導者達はこれに気付いているとし、何度もその点を指摘している。マシァルの動きが全く奇異で納得がいかないのは、まさにその理由のためである…ハマス幹部のザハルが怒ったのも、そのためである。ザハルは、マシァルがつくりだした亀裂を批判し、ハマス指導者全員が、マシァルのドーハ協定調印に失望落胆した、協定は実行不可能、書き直さなければならぬ、と主張した…。

 協定によると、民族統合政権のリーダーシップはファタハの指導者に与えられ、ハマスは責任を負わない。この条件で、PA議長選と議会選が実施される。ファタハが…選挙管理内閣を主導するので、自己に都合のよいように、そして又シオニストの目的に沿った形で選挙結果を歪曲するのは明らかである。ハマスは退けられる。このような状況になると、ハマスが選挙のやり方に抗議しても無駄であり、それはハマスの内部抗争をもたらす。ドーハ協定の調印で、このプロセスが始動したのである…。

 もっと大きい危険が実はある。この抗争と、ハマス指導部の問題処理法が政治ゲームでハマスを縛りつけ、運動の芯である闘争精神を根こそぎにするであろう。シオニストにとってこれは更に好都合である。彼等は待ち焦がれている…そのような浅ましい世評のある組織(ファタハ)との協定調印は無邪気な話である。それは武器を棄て武力闘争を放棄し、敵(イスラエル)との和解を以て終るプロセス、の始まりである。

 ハマスの指導者達はドーハ協定を憂慮している。彼等はマシァルの動きにも反対である。マシァルが発散するのは和解の空気、カタールのシェイク達のオイルダラーで濃厚になった香りである。カタールのシェイク達は、アラブ中東におけるシオニストの調停者、アメリカの召使として知られており、最近の状況下では、アメリカ、イスラエル、そして(イスラエルに)宥和的なアラブのためにシリア政府に圧力をかけるパイオニア、としてつとに知られる。この腐りきったシェイク達は、(西側の)ために働いており、パレスチナ人民の権利など眼中になく、ドーハ協定調印者の立場を第一に考えることもない。彼等に関心があるのは、ハマスを宥和へ引きずりこむことである。政治局長マシァルが、ファタハとの(民族統合政権)に加わることに同意し、ハマスを宥和と分裂に危機にさらすことになったので、(この協定による)打撃は、一番ハマスがこうむることになる」※17。

イスラエルと宥和してパレスチナの統一をはかるな―保守系イラン紙

 前出Jomhouri-ye Eslamiは、2012年2月9日付紙面で、次のように主張した。

「この予期せぬ展開(ドーハ協定の調印)はまさに不意打ちであった。ハマスが(武力)闘争と反シオニスト政策で知られることを考えれば、パレスチナ人民と中東の世論にとって尚更である。彼等はハマス幹部達の釈明を待っている。

 問題は、何故ハマス幹部達が行動の主導権を棄て、パレスチナ宥和運動(ファタハ)へ走ったかである。この運動は、パレスチナ人の理想からみれば、歓迎できない立場ではないか。

 近年の選挙でハマスは、パレスチナ人の票の大半を獲得した。反シオニストのスローガンを掲げ、(イスラエルとの)宥和に反対する立場であったからだ。しかし、ハマスの新しい立場は先の選挙の時とは全く逆である。

 パレスチナ諸派の統一は確かに望ましい…しかし、パレスチナ人民の将来を(イスラエルとの)宥和派へ引渡すことは、正当化できない。

 カタール政府を初めとする裕福なアラブの指導者達が、数名のパレスチナ人指導者をオイルダラーで誘惑し、新しい条件をのませた。未確認だが、その話がいろいろある。実際のところどうなのか。パレスチナ当局者の説明が待たれる」※18。

サウジとカタールに懐柔されたマシァル―Kayhan紙の批判

 最高指導者ハメネイ師に近い日刊紙Kayhanも、マシァルを批判、パレスチナの外で安楽な生活を送っている人物として紹介し、ファタハとあからさまに宥和するとした。2012年2月15日付同紙は「狼と羊の話合いーアッバスとマシァル」と題する記事を掲載、マシァルは、レジスタンスの道を堅持するハニヤと対照的に外交官≠ノなってしまったとし、ダーラン(Muhammad Dahlan)のようなパレスチナ人指導者と同じように、カタールとサウジにたらしこまれた、と非難した。以下その記事内容である。

 「この腐敗しきったアラブの指導者達(カタールとサウジを指す)は、経済手段をテコとしてPLOとPAをゴミにしてしまい、パレスチナの威信をシオニストの首切り役人に渡した前科がある。今度は、ハマス、イスラム聖戦、そして(レジスタンス委員会に)所属する聖戦諸派を追いかけまわし、アラファト・モデル≠おしつけようと躍起になっている。(ガザの)戦場から遠く離れていた聖戦指導者のなかには、そして又、戦士というよりは外交官に近い者のなかには、アラブの指導者達に懐柔された者もいる。

 これは秘密でも何でもない。ガザにいる指導者と近隣諸国に居住するハマス指導者の発言のトーンを比べると、違いが判る…5年に及ぶガザ封鎖戦の苦しみを経験したハニヤは…(ヨルダン)川から(地中)海に至るパレスチナ全域の解放が具体的戦略として遂行できると考え、戦場に居ない者(マシァル)は、疲労破壊を呈している」※19。

 このKayhanは2月21日付でも、アメリカとカタールが秘密の了解点に達し、後者が中東で反イラン活動を強め、アメリカの意向に従ってカタールの首長は、ハマス、ヒズボラ、イスラム聖戦に働きかけ、イランの影響圏からはずそうとしている、と報じた※20。

*A・サヴィヨンはイランメディア・プロジェクト長、Y・マンシャロフはMEMRI研究員。

※1 2012年2月12日付Leader.ir

※2 2012年2月16日付Jomhouri-ye Eslami。 最高指導者のオフィスが運用するウェブサイトは、2012年2月15日付でアルイスラムの書いた「アラファトの戦略的過ち」と題する記事を掲載した。そのなかでアルイスラムは、アラファトに関してハメネイがハニヤに述べたことの真意は、アラファトとアッバスが犯した「取り返しのつかぬ戦略的過ち」の繰り返しを防ぐことにある、と説明した。

※3 2012年2月12日付Leader.ir、同日付Mehrnews.com。その会合でハニヤは、「我々はハイバルとバドルの戦いの時代にいる」というハメネイの発言にのっとり、全パレスチナの解放とイスラエルの抹殺がハマスの戦略目的である、と言った。

※4 2 012年2月11日付Diplomacy.ir

※5 2012年3月3日付Etemad

※6 2012年2月22日付Tehran Times

※7 2012年2月26日付Asr-e Iran

※8 2012年2月27日付Mehr

※9 2012年3月1日付Irdiplomacy.ir

※10 世界クードス(エルサレム)ディは1979年にホメイニが提唱したもので、パレスチナ・レジスタンスの支持デモがムスリム世界で行われる。

※11 2012年2月25日付Asr-e Iran

※12 2012年3月2日付Alef

※13 2012年2月25日付Asriran.com

※14 2012年2月26日付Tabnak.ir

※15 2012年2月24日付Sahamnews.net

※16 2 012年2月23日付Zibakalam 、2012年2月26日付Sharq

※17 2012年2月15日付Jomhouri-e-Eslami。 同紙は2月16日付紙面で「ハマスの新しい動きは、ハニヤが(テヘラン到着前)カタールとバーレーンを訪れたことや、レジスタンスからの逸脱気味がある計画を受入れたこととあいまって、イスラム諸国に疑惑を生ぜしめた。ハマスは説明責任がある」と主張した。

※18 2012年2月9日付Jomhouri-ye Eslami。 同紙は、ハマスを民族統合政権に参加させるため、カタールがパレスチナ人幹部達を金で買収した、とも伝えた。

※19 2 012年2月15日付Kayhan

※20 2 012年2月21日付Kayhan


 

 

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