メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 緊急報告シリーズ
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THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

緊急報告シリーズ


 
Special Dispatch Series No 1079 Jan/28/2006

ハマスの指導者、候補者は何を主張したか―評議会選挙にみるパレスチナ情勢(其の2)

ハマスのメンバー達は、評議会の選挙運動で過激なステートメントを依然として出しながら、比較的プラグマチックな声明を出し始めた。メディアの報道によると、ハマスは運動のイメージ改善のため、メディアンコンサルタントを雇っているという。もっともハマス自身は、メディアとの接触法についてアドバイスをうけるために、雇ったとしている※1。比較的プラグマチックな声明は、運動の中枢にいる指導者達がだしているわけではなく、選挙にかかわっているハマスメンバーによるもので、この点は留意すべきである。この指導者のなかでも特に政治局長マシャアル(Khaled Mash`al)は、外交活動≠ニ並んで抵抗を継続すると強調し、この両者の間に矛盾はなく併立すると述べている。

選挙でハマスは評議会議席の過半数を制したが、次に紹介するのは、そのハマスメンバー達の見解である。

1967年境界内のパレスチナ国家建設は暫定的解決

立法評議会選挙のハマス候補のトップにたつハニヤ(Ismail Haniyya)はAFP通信のインタビューで次のように言明した※2。

「ハマスは、暫定的解決として、エルサレムを首都とし1967年のイスラエル占領地を領土とするパレスチナ国家の建設を支持する。しかしながら、ハマスは、歴史的パレスチナの境界に関する従来の見解を変えず、占領体制の合法性承認は、引続き拒否する」。

やはりハマス候補者のアル・ルムヒ(Dr.Mahmoud Al-Rumhi)はPA日刊紙Al-Hayat Al-Jadidaのインタビューで、次のように主張している※3。

「ハマスは、世界とこの地域に起きた変化を認識しているから、暫定的解決を提案しているのである。この提案は目新しいものではない。最初にだされたのが1988年、90年代にもだされた。シャヒード(殉教者)のヤシン師(Sheikh Ahmad Yassin)も、2002年と2003年に繰返し言及し、次の条件なら、1967年のイスラエル占領地にパレスチナ国家建設を暫定的解決として受入れる、と言った。条件は、エルサレムを首都とし、入植地を撤去し、難民を帰還させることであり、見返りは限定期間内の停戦(Hudna)である。これは、我々の持つ基本戦略と矛盾しない…」。

別の候補者バフル(Ahmad Bahr)は、ガザの選挙演説で、次のように繰返し述べた※4。

「ハマスは、暫定的解決として1967年の境界内を領土とするパレスチナ国家を受入る用意があるが、パレスチナの土地は寸土といえども放棄しないし、イスラエル国を承認することもない。また、武器保有権を放棄しない」。

ハマスの選挙綱領はイスラエル潰滅を含めず

ハマスの選挙綱領には、占領の排除∴モ図宣言を含むが、イスラエル潰滅をうたっていない。この綱領発表と共に、この目的の省略について、さまざまな反応が生じた。潰滅目的はハマス憲章にあるし、ハマス自体繰返し述べている。ハマスのスポークスマンアブ・ズフリ(Sami Abu Zuhri)はハマス憲章と選挙綱領は矛盾しない、と躍起になって否定する。「選挙綱領は、今後4年間の方針とその実施をうたったもので、憲章は我々の戦略目的を明示する」と主張するのである。

アル・バラダウィル(Salah Al-Bardawil)も、選挙演説で、「ハマスは憲章を変えるとか改訂するとは一度も提案していない。選挙綱領は、今後4年間の目標を示す現実的な内容である。今のこの段階で4年内にイスラエルを潰滅するとか抹殺すると言ったら、人民をだまし、偽りのスローガンを繰返すことになる。しかしこれは、イスラエルを認めず抹殺するという戦略とは矛盾しないのである」と強調した※5。

一方、ハマスの週刊誌Al-Risalaのコラムニストであるブセイソ(Muaman Buseiso)は、「憲章はコーランではない。コーランは変えられない。いつかパレスチナ人の民族的権益の顕現を目的として、憲章が手直しされるか、或いはハマスの見解に沿ったものに替えられる、と確信する」と書いた※6。

イスラエルとの交渉問題

ハマスのエルサレム地区候補アブ・ティル(Muhammad Abu Teir)は、「ハマスによる(対イスラエル)交渉は、これまで10年間やって何も達成できなかった(ファタハ主導の)交渉より、もっと効果的であろう」と言った※7。しかし、その翌日アブ・ティルは前言を否定した。

前出のアル・ルヒムは「占領者との政治交渉と住民サービスのための日々の接触とは区別が必要である。例えば、カルキリアの自治体選挙でハマスが勝利した後、給水、電気、下水の間題で、(イスラエル側の)クハル・サバ市政当局と当然取引したのである」と言った※8。

しかしながら、政治局長マシャアルは、2006年1月23日放映のAl-Jajeeraテレビのインタビューで、「ハマスはイスラエルと交渉しない」と明言した。同じように前出のハニヤは「対イスラエル交渉はハマスの議題にはない。イスラエルとPA間のこれまでの交渉がうまくいかなかったからだ。ハマスは、既に失敗している試みを繰返すことはしない。(更に)強い立場にある側がいつも交渉では優位に立つのだ」と言っている※9。

これと少しニュアンスの異なるのが、ハマス最高幹部アル・ザハル(Mahmoud Al-Zahar)の記者会見である。彼はそこで次のように言った※10。

「イスラエルとの交渉は御法度というのではない。しかし政治犯共がイスラエル人と席を同じくし、談笑しながら進展があったなどと言う。実際には何の前進もないのにである。ハマスが選挙に勝てば、(交渉を持つための)方法ならいくらでも提示できる。但し、イスラエル側が侵略をやめ、(領土から)撤収し、捕虜を解放するなど、実のある提案をすればの話である」。

アル・ザハルは、間接交渉の例として、イスラエルとヒズボラの接触をあげた。イスラエルの刑務所に服役中のレバノン人囚人の釈放をめぐって、ドイツを仲介して間接的に交渉したものである。但しアル・ザハルは「イスラエルとの交渉は、これまで経済的打撃に加えて、破壊、殉死、損害しかパレスチナ人に与えていない」とつけ加えている※10。

抵抗がハマスの基本戦略

ハマスのスポークスマンアル・マスリ(Mushin Al-Masri)は、「我が領土の完全解放まで抵抗がハマスの基本戦略として堅持される…ハマスは、捕虜釈放、難民の帰還、その他(パレスチナ人の手から)奪われた諸権利の回復まで、ジハードと抵抗の選択肢をしっかり保持する」と言った※11。

ハマスの政治局長マシャアルは、ダマスカスで開催された集会で、次のように述べている。

「この集会は、ガザがシオニスト侵略者の意志に反して解放された後に開かれたので、特に意義深いものがある。ガザ解放に続いて、エルサレム、ハイファ、ジャファ等々パレスチナ全土の解放を祝う時が来ることを知る者は、新しい言葉を使って、その政策を実行する。勿論、敵と会うとか交渉するといった衝動にかられることはない。ガザは交渉を通して解放されたかね?ハマスは今後も武力を使い抵抗権を堅持する。パレスチナの地は寸土たりとも譲らず、すべての地が解放され、難民も最後のひとりが帰還するまで、抵抗が選択肢として続く」※12。

※ 1 2006年1月21日付 Al-Sharq Al-Awsat(ロンドン)

※ 2 2006年1月22日付 Al-Ayyam(PA)

※ 3 2006年1月19日付 Al-Hayat Al-Jadida(PA)

※ 4 2006年1月22日付 同上

※ 5 2006年1月14日日付 www.islamonline.org

※ 6 同上

※ 7 2006年1月16日付 Al-Ayyam

※ 8 2006年1月19日付 Al-Hayat Al-Jadida

※ 9 2006年1月22日付 Al-Ayyam

※ 10 2006年1月24日付 同上

※ 11 2006年1月16日付 Al-Risala(ガザ)

アル・ザハルは別の機会に「イスラエルに収監されている人がおり、捕虜交換の交渉のため我が運動はイスラエル兵の拉致を続けざるを得ない」と言っている(2006年1月19日付、Al-Hayat Al-Jadida)

※ 12 2005年12月31日付

www.irna.ir/ar/news/view/menu-269/0512314399085311.htm .


 

 

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