メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 緊急報告シリーズ
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THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

緊急報告シリーズ


 
Special Dispatch Series No 7296 Jan/30/2018

トランプ宣言には包括的平和攻勢で対応せよ
―エジプト紙社主の提言―

エジプトの日刊紙Al-Masri Al-Yawmの社主で、ニュートンのペンネームを持つ実業家ディアブ(Salah Diab)が、4回に及ぶ連載記事で、ビジョンを持つ指導者の登場を心底から希求すると書いた。アラブは、その知的硬直性のため何十年も哀れな状態にある。エジプトのアンワル・サダト大統領は、1973年にイスラエルを相手とする十月戦争を発動し、後年そのイスラエルと平和条約を締結した。このようなリーダーシップを望むというのである。彼は又、どのような人間でもビジョンを持つことができる、オスロー合意に至る道を動かしたのは、ノルウェーの研究者であったと指摘した。

筆者は、トランプのエルサレム首都認定宣言に対する国際社会の怒りをサダト流に利用し、包括的平和攻勢≠発動せよ、とアラブに求めた。イスラエルとの正常化を犯罪行為とみなす過激派のイデオロギーにしがみつく限り、低迷は続くとする。このような平和は、一度達成されるならば、イランがアラブ諸国に介入する大義名分もなくなり、イランの介入で警戒態勢下にあったアラブはその態勢を解くこともできる、と主張する。そして、パレスチナ問題が適正な解決をみれば、この地域は開発に邁進できる。技術世界のなかで発展していくのも夢ではない、と筆者は結んだ。

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日刊紙社主サラフ・ディアブ(image: Arabinternationallawfirm.com)

次に紹介するのは、その記事内容である。

対イラン防衛の盾としてイスラエルと関係を築く前にキャンプデービッド合意を復活せよ

連載第1回の12月12日付記事で、ディアブは、次のように書いた。

「サダトは2回驚かせた。第1回の驚きは軍事面で、1973年(10月)の奇襲攻撃である。第2回は1977年11月の外交攻勢で、サダトはイスラエル行きを決意し、クネセットで演説した。イスラエル行きの奇襲は、ビジョンの産物である。ビジョンとは創造力、独創性であり、インスピレーションの一形態である。それは、新しい発見を導きだす才能である。1日15時間から20時間働く人間は、ビジョンを欠くなら、何も考えず、いつまでも、だらだらと働くだけである。一方ビジョンは、何十時間もの無駄な仕事や際限もなく続く会議を一瞬のうちに超越する。

オスロー合意は、ノルウェーの外交団の一員である女性を妻に持つ、社会学者のビジョンのおかげである。夫婦はエジプト、ガザ、テルアヴィヴそしてエルサレムを訪れ、第1次インティファダを目撃した。夫婦が見たのは、パレスチナ人青年が石を投げ、若いイスラエル兵がゴム弾を撃っている姿であった。二人の若者は同じような顔付をし、同じ恐れを共有していた。ここで夫の想像力が働き始める。そして彼は「何故双方をもっと近付けないのか」と自問するのである。ノルウェーはアメリカと違って中立国として知られる。彼は、極秘の外交チャンネルで、パレスチナ側とイスラエル側の代表を会わせることにした。双方は秘密厳守に努めた。アラファトがユダヤ人と交渉していることが判ると、彼の支配はこれで終りになっていただろう。一方、イツハク・ラビンがPLOと交渉していることが判ると、イスラエル人はこの組織をテロ集団とみていたから、機会があれば殺していたであろうし、ラビンの政党は次の選挙で敗北したであろう。

当時ペレスが外相、ラビンが首相で、二人は労働党の指導権をめぐって対立していた。ぺレスは、ラビンに知らせずオスロー協議を進め、話が相当まとまるまで、黙っていた。ノルウェーも、外相には内緒で話を進め、双方の代表と仲介者は、アメリカには極秘で交渉した。交渉はオスロー近郊の小さい村で進められ、話がまとまると、その結果は、クリントン大統領を保証人として、ホワイトハウスのローズガーデンで、発表されたのである。この後の関係正常化は、受入れ可能なものとなり、最早恥ではないことになった。この結果によって、アラファト、ぺレス、ラビンはノーベル平和賞を受賞したのである。もっとも、後になって和平プロセスは困難な事態になった。オスロー合意は、当然の帰結としてキャンプデービッド合意の一環となる。そしてパレスチナ人は、カイロのメナハウス(ホテル)での交渉の席を手にした。サダトのイスラエル訪問の後、1977年12月14日に、メナハウスで和平協議が始まったが、出席者は、イスラエル、エジプト、アメリカの各代表が参加し、国連はオブザバーとして出席した。(しかしPLOは参加を拒否した)。

現在必要なのは、キャンプデービッドの合意を復活できるビジョンの人である。アラブ諸国が、イランに対抗するためにイスラエルを使おうとして、イスラエルと関係を築いてしまう前に、この復活がなければならない」※1。

平和のシナリオはできるが、その実現の前にやることがある

第2回(12月13日付)の記事で、3日前自分の新聞にフィシェル(Ezzedine Choukri Fishere、外交・政治学講師)の書いた記事に触れた。フィシェルは、ユートピア的シナリオを描いた。アラブの指導者達は、トランプのエルサレム首都認定宣言に対応して、「トランプを締めだすが、アメリカと完全に関係を断つことはしない。駐米大使を召喚し、アメリカの大使を自国から追放し、本当にアメリカの大使館をエルサレムへ移せば、自国のアメリカ大使館を閉鎖すると威嚇する。しかし同時に、アメリカとの経済、軍事関係は維持しておき、イスラエルに対しては、平和と関係正常化と交換に1967年の境界線へ戻るための交渉、を呼びかける。一方、リヤド首脳会議で、三つの奇襲的決議をする。第1、アラブ・トルコ和解のための協議の場をつくる。そこで競合・紛争地帯(シリア、イラクイエメン、リビア、ハマス支配のガザ、カタール)における暴力の中止のための枠組をつくる。第2、エジプト、モロッコ、ヨルダン、カタールで構成する代表団を編成し、アラブ側の平和交渉を提示するため、イスラエルと話合う用意がある、と呼びかける。その構想には、エルサレムの両側をパレスチナとイスラエルの二つの首都にする案が含まれる。第3、中東の平和と安全保障の機構をつくる。この地域にはテロ戦争を初めとする安全保障上のさまざまな問題があり、それに対処することを目的に、暴力防止の安全保障メカニズムの設定、信頼醸成、地域諸国の協力関係の構築をめざす。この平和と安全保障の機構には、イランとトルコも含める(イスラエルは平和協定を結べば、直ちにメンバーとして招かれる)。以上の措置の結果、中東の安全保障問題が鎮静し、状況が改善されるならば、ロシア、中国そしてEUが、中東との経済及び安全保障関係の協力を進める。そして又、アメリカが、中東における自国の立場が弱くなっていることに気付き、権益を守るため修復に動きだす」。ここまで書いたフィシェルは、「ここで私は夢から覚めた」と結ぶ※2。

この記事に対し、ディアブは、「この夢はあり得ない話ではない。問題は、これを実現するための行動である。行動が必要である」とし、次のようにコメントした。

「この記事は、著者が夢から覚めたというところで終っているが、不可能な夢を描いているわけではなく、実現しなければならぬシナリオである。どのような道筋が必要かが書かれており、よく構築されたシナリオである。いつの日か、目が覚めるとこれが実現されている。そのような話が成りたつ時がくるのだろうか。少なくとも我々の孫の時代にこれが実現されている。そうなりたいではないか。一般的に言えば、現実場面で問題と取組むためには、夢や空想の世界に遊ぶだけでは何にもならない」※3。

我々は正常化無しで平和を結んだ―イスラエル人との握手すら犯罪行為とみられる現実

12月14日付の記事で、筆者は次のように主張した。

「ビジョンはあらゆる事件をとらえ、それを機会に変える。(機会に変えることができるような事件が、トランプによる傲慢な決定である。世界の全国家が反対している。この反対はアメリカを困惑させ、イスラエルも困惑させ、孤立を深めさせた。ビジョンはアラブに示唆を与えている。アラブはこれを奇貨として包括的平和攻勢に出るべきである。これは、普通の人のビジョンの結果であるオスローの事例が示すように、不可能ではない。サダトの平和イニシアチブもビジョンの結果である…しかし、ビジョンを持つ人は大統領や重要なポストの人物である必要はない。オスローのビジョンの持主は、研究センターの一職員であった。それでも、重要な平和イニシアチブを提起したのである。相も変わらぬ期待を抱き、利益集団に囲まれ、この悲劇の継続によって利益を手にする人々の仲間。そして1978年から今日まで我々が試みてきた(スタンダードの)アラブの対応。これを越える人がでてきてもよい。

私が言っているのは。一撃のもとで恒久的平和を達成することである。パレスチナ人はもとより、現在一番状況に苦しんでいるのはアラブ人である。しかしアラブの支配者これに影響をうけず、省みないように見える。それどころではない。パレスチナ問題が、暴政の正当化に利用され、イランのシリア、イラク、イエメン、ガザ、レバノン介入の理由に使われる。ひとつにまとまった包括的解決が必要である。問題は、難民キャンプに限定されるわけではない。(イスラエルとの)対峙国だけでなく、すべてのアラブ国家にひろがっている環境とかかわりがある。確かに我々は平和(協定)を結んだが、正常化はしなかった。イスラエルと握手することは、今でも犯罪行為と考えられる。待ち望む平和は、さまざまな伝統的思考を越えるビジョンがなければ、達成されない。

トランプがエルサレム首都認定宣言と大使館移転の決定を発表した時、彼はこの措置が和平プロセスを推進すると言った。嘘である。嘘をつけばお尻に火がつく。国際社会が怒りの声をあげトランプが守勢にたっているのを奇貨とせよ。彼は自ら窮地に落ちたのである。この状況を利用し、平和実現の豊かで創造力に富むビジョンで、一気に前へ進もうではないか」※4。

我々は正常化を犯罪視する過激派にゆだねてしまった

12月24日付の最終回で、筆者は次のように書いた。

「キャンプデービッドとサダトのエルサレム訪問の話は、ドラマチックな点が沢山ある。凍結したままの正常化問題の解決に利用できた筈である。例えばサダトが(エジプト)議会で風穴をあけたのは参考になる。彼はクネセット(イスラエル議会)へ行くと言った。このようなことは誰も考えていなかった。一番期待していなかった。この発表の前後にさまざまな接触があった。ルーマニアのチャウシェスク大統領の仲介、サダトとゴルダ・メイヤーの会話、イスラエル側指導者達との話合い、そして彼等―吸血鬼としてではなく人間として―との本物の関係確立、双方が持つ希望と抱負、キャンプデービッドにおけるイスラエル側との議論の応酬や退場をちらつかせるサダトの威嚇もあれば、カータ―大統領の果した役割或いは仲介もある。このようなさまざまな出来事を通して、双方の心が通いあったのである。問題が悪化した時、このプロセスがあったならば、二国併存とエルサレムを二つの国の首都とする合意が、成立したかも知れない。

(このプロセスには別の側面がある)。アラブがサダトを見捨てたこと、サダトが勧めたゴラン返還のための交渉を、シリアのアサドが拒否したこと。クネセットにおけるサダト演説の反響、即ち、パレスチナ国家の建設を以て始まる包括的平和を語るサダトの言葉、そしてパレスチナ人がサダトを見捨て、交渉参加を拒否したこと。サダトがイスラエルの国防相との協議を執拗にせまったこと、サダトは、エジプト・イスラエル問題を越えアラブ・イスラエル問題を考えていたのである。つまり、シナイだけでなくアラブの被占領地の回復を考えていたのである…。

サダトの平和達成過程には、テコとして利用されなかったドラマが沢山ある。さまざまな問題には、キャンプデービッドのゴールを平均的エジプト人に伝え、理解させるためには、大々的且つ劇的な行動を必要とする。我々と(イスラエルとの間には)平和条約があり、イスラエル大使も常駐しているが、今日に至るも、イスラエルとの接触を不審の目で見る。国家レベル、組織レベルの接触すら秘密であり、あたかも陰謀や犯罪行為のように、おおっぴらに語られることがない」※5。

[1] Al-Masri Al-Yawm (Egypt), December 12, 2017.

[2] Al-Masri Al-Yawm (Egypt), December 10, 2017.

[3] Al-Masri Al-Yawm (Egypt), December 13, 2017.

[4] Al-Masri Al-Yawm (Egypt), December 14, 2017.

[5] Al-Masri Al-Yawm (Egypt), December 24, 2017.


 

 

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