メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 緊急報告シリーズ
中東報道研究機関




前のページ
前のページ
プリンターフレンドリー
プリンターフレンドリー


THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

緊急報告シリーズ


 
Special Dispatch Series No 7621 Sep/14/2018

日本人テロリスト岡本公三を讃えるファタハの公式フェイスブック

ファタハの公式フェイスブックが、2018年8月12日付で、日本人テロリスト岡本公三の写真を掲載し、日本赤軍に関する情報を付記した。1971年5月30日、3人の日本赤軍所属テロリストがイスラエルのロッド国際空港を襲撃し、26名を殺害し、79名を負傷させたが、周知の通り岡本公三はこの3人のテロリストのひとりである。このテロ攻撃を実行する1年前の1971年、岡本公三は、レバノン所在のパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のもとで、テロ訓練をうけた。3人の内2人は、空港襲撃で死亡し、岡本公三は捕まってイスラエルの法廷で終身刑3回の判決をうけたが、13年後に釈放された。ジブリル合意、即ち、パレスチナ解放人民戦線―総司令部派(PFLP-GC)との捕虜交換による。

次に紹介するのは、ファタハの公式フェイスブックの内容である※1。



写真@2018年8月12日付掲載

岡本公三とは誰か(ファタハの主張)

1 パレスチナのシオニストに対して攻撃を敢行した日本人戦士である。

2 24歳でイスラム教に改宗し、1972年のロッド空港作戦に参加した。この作戦でシオニスト26人が殺害された。岡本は、弾薬が尽きて捕虜になった。

3 岡本公三は、死刑の判決をうけたが、日本の圧力により、終身刑に減刑された。 

4 岡本公三は、1985年に釈放された。

上記がその説明である。ここではっきり指摘しておく必要があるが、パレスチナ自治政府のファタハの公式フェイスブックが、岡本公三をとりあげたのは、今回が最初ではない。2016年5月18日付では、「戦友岡本公三とは、一体どのような人物か」と題して、次のように紹介している。

「国際革命家である。1972年5月30日、3人の日本人コマンド隊が、ロッド隊は、手榴弾5発を投擲した。3発を駐機中の航空機に投げ、1発を通関事務所へ、残る1発は駐車中の車両に向けて投げた。その結果、イスラエル人26人が死亡、80人以上が負傷した。コマンド隊は手榴弾攻撃を終えると、空港から後退し始めたが、ラムラ刑務所付近で、イスラエルのパトロール隊と交戦、5人を負傷させた※2。この攻撃でコマンド隊3名のうち2名が死亡した。奥平剛士(通称バッサム)と安田安之(通称サラフ)である。第3の隊員岡本公三(通称アフマド)は負傷し、捕まった。本作戦はPFLPが策定した。

この日本コマンド隊は、日本赤軍に所属していた。ちなみに日本赤軍は日本共産党から分離した革命組織で、世界の被圧追人民を支援し、世界の圧制・暴虐植民地主義及び帝国主義勢力に対する、グローバルな革命をひき起すことを任務としていた。この革命組織が注目したのが、パレスチナの大義である。その人民は、超大国に支援されるシオニスト運動の手にかかって塗炭の苦しみを味わい、日常的に暴力と追放にさらされていた。そしてこの革命組織は、当時レバノンを拠点にして(活動していた)パレスチナ革命勢力、特にPFLPと連帯したのである」※3。

写真A2016年5月5日付ファタハの公式フェイスブック掲載


2016年5月5日付でファタハのフェイスブックに掲載された写真。

[1] Facebook.com/officialfateh1965 , August 12, 2018.

[2] 本テロ襲撃の実際は、この説明とは非常に異なる。

[3] Facebook.com/officialfateh1965 , May 18, 2016.


 

 

すべての翻訳の著作権はメムリが所有する。
記事の引用の際は必ずメムリの名前を記載すること。

著作権に関する問い合わせはここをクリックして下さい。

ウェブサイト開発: WEBstationONE, ウェブホスティング: SecureHosts.
Copyright © 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016. All Rights Reserved.