メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 緊急報告シリーズ
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THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

緊急報告シリーズ


 
Special Dispatch Series No 7677 Sep/26/2018

1973年戦争の教訓を学ばぬアラブ
―サウジジャーナリストの感慨―

2017年10月7日、イスラエルとアラブ間に生来した1973年戦争の44周年記念に際し、ロンドン発行サウジ紙Al-Sharq Al-Awsat紙が、前編集長ラシード(`Abd Al-Rahman Al-Rashed)の記事を掲載した。そのなかで前編集長は、アラブを率いて対イスラエル戦でアラブ唯一の勝利に導き、その勝利をテコにしてイスラエルと平和条約を結んだとして、時のサダト大統領を賞讃した。記事は「十月戦争から学ばなかった者がいる」と題し、そのなかでラシード前編集長は、この戦争から正しい結論を導き出さず、エジプト・イスラエル平和条約をパレスチナ人もとりこんだ包括的平和に発展させなかったとして、アラブとイランの指導者達を批判した。前編集長は、この支配者達は今日に至るも自分達の失敗を隠蔽するため、歴史を歪曲していると主張した。

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エジプトのサイトのロゴ―名誉の日―1973年10月6日(Image: dotmsr.com, October 6, 2017)

次に紹介するのはこの記事である※1。

ユダヤ人国家は(1973年の戦争で)将兵約3,000人を失い、8,000人以上が負傷した。機材の損害も大きく、戦車及び軍用車両1,000両を撃破され、更にジェット戦闘機約100機を撃墜された。イスラエルは、(この後結ばれた平和条約によって)6年前の電撃戦で手中にした領土の大半を失った。手短かに言えば、これが十月戦争の略史である。これは、(エジプトが軍事的に)優勢な国家を相手にしたことを考えれば、大きい(成果)であった。

戦争は、敵の敗北を目的としない政治行動である。(1973年)戦争の成果は、スエズ運河両岸の認識の変化に、表明された。イスラエルは、1967年戦争の勝利以来絶対的優勢感に安住し、拡張(を目指す)危険な軍事的計画を持つ、強力且つ発展した国家であった。しかしながら、十月戦争はこの等式における変数の大半を換えてしまったのである。その日以来今日まで、イスラエルの計画は、1967年戦争時に獲得し手許に残った領土を守ることにある。イスラエルは教訓を学んだ。エジプトもそうである。しかし、今日に至るも必要な結論をくださないアラブがいる…カタール、イランで、そしてシリア、イラクの独裁政権の残滓の支配下の連中である。1973年の戦争がなかったならば、我々はシナイ半島とスエズ運河を奪回できぬままで、イスラエルが(スエズ正面で)敗北しなければ、拡張主義的冒険主義嗜好はやまなかったであろう。

十月戦争は、力のバランスに対する認識の変化を通して、双方の関係に著しい変化をもたらした画期的出来事であった。戦後双方は保証付きの勝利など存在しないことを認識した。ユダヤ人国家のなかでは、多くの前提が崩れた。しかしながら、(戦争は)エジプトを敵視するアラブ諸政権の多くを、覚醒させることができなかった。彼等は、戦争とその結果を誤解したのである。アンワル・サダトは、政治的軍事的観点からみて、歴史上重要な人物として名を残した。そしてこの戦争は、彼の歴史の一章にすぎなかった。エジプトは政治上軍事上困難な状況のなかで開戦した。それも軍事機材と意欲の殆どを失ってしまった(1967年)6月戦争から僅か6年後であった。(サダトの)顧問達は、多量の武器弾薬と最新兵器を持つ国を相手にするのは、危険な冒険であるとして、開始しないよう説得に努めたのは、疑いない…。

この戦争は、優越感に由来する(イスラエルの)自信と自惚れに対する勝利であり、イスラエルが初めて自信を失い、もっと謙虚になり(シナイから)撤退した戦いであった。1973年の戦争以降イスラエルが最早拡張戦争に走ることはなく、大イスラエル≠フ夢はこの戦いが終止符を打った。これ以降のイスラエルの戦いは防衛戦である。レバノンのPLOそしてその後イランの支援するヒズボラに対する防衛戦となる。

十月戦争でエジプトは(シナイ正面において)イスラエルを撃退した。しかしイスラエルはシリア正面では勝利し、占領地を拡大した。その拡大域は、シリアの故ハフェズ・アサド大統領との交渉と合意によって、シリアへ返還した。当時これは、兵力分離と境界(停戦ライン)の調整と報じられたが、(本当は)そうではなく、ダマスカスとテルアヴィブの直接対決に終止符を打つべき合意であった。それにも拘わらず、(シリアの)バース党は、キャンプデービッドの合意調印で間違った情報を伝える反エジプトキャンペーンを展開した。サダトは、彼等と違って現実主義の政治家で、勝利をテコにしてもっと遠大な計画を実行した。イラクのサッダム・フセイン政権とシリアのアサド政権から威嚇されなかったならば、当時パレスチナ人の指導者であったヤセル・アラファトは、キャンプデービッド協議に参加し、その戦争が究極の平和合意を以て終結したに違いない。シリア、イラクそしてリビアの政権が反エジプトで結束しなければ、そして又サダトを暗殺したイスラム組織の裏切り行為がなければ(サダトは、前任者の故ナセル大統領によって投獄されていたイスラム過激派を釈放した)、平和が達成された筈である。

エジプトは十月戦争の勝者であった。しかし悲しいことに、アラブはイスラエルから得た唯一の勝利がもたらす機会を逸してしまった。今日に至るも、アラブのうちいくつかは、自分達の失政、そして誤りであることが既に証明されている政治的立場を隠蔽するために、依然として戦争の歴史とその後の状況を歪曲し続けているのである。

※1 2017年10月7日付 Al-Sharq Al-Awsat(ロンドン)。


 

 

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