メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 調査および分析シリーズ
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THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

調査および分析シリーズ


 
Inquiry and Analysis Series No 253 Nov/25/2005

イランの「イスラム第二革命」:政権頂上の権力抗争
筆者:A.サビヨン

序文

2005年6月メムリが指摘したように、イラン大統領選挙におけるマハムード・アフマディネジャドMahmoud Ahmadinejadの勝利は「第二イスラム革命」の到来の前兆だ。

アフマディネジャドの大統領当選が「第二イスラム革命」到来の前兆であることは「イスラム的正義」の理想に対するアフマディネジャドの誓約、およびホメイニ師のイスラム革命イデオロギーの実践に対する彼の誓約がはっきりと示している。また、政権内のキー・ポジションをめぐる抗争がはっきりと示している。「イスラム的正義」(イランのイスラム教シーア派の救世主)「お隠れのイマーム」の救世主信仰の中に表現されているような正義だ。※1

アフマディネジャドは2005年11月15日の発言でこう説明した。「(イラン)国民は最近の選挙において革命への信仰を証明した。また、国民はイスラム革命の理想の再現を望んでいる・・・この革命は実際、預言者たちの運動の一つの継続だった。したがって、国家のすべての政治的、経済的、文化的目標は、イスラムの理想実現に方向付けねばならない」。アフマディネジャドは加えて、「この神聖なイスラム思想流派の信徒(イラン国民のこと)は(お隠れのイマーム)の早急な再現に道を開くため最善を尽くしている」と語った。

アフマディネジャドは、イスラム革命のアイデンティティー、理想、徳から逸脱する危険を警告し、そうなればイラン社会は目的を失い、その高貴な目的地を見失うと述べた。「これらの栄光ある理想に人々を引き戻し、また模範的で、強力で、進歩的なイスラム社会の樹立をリードするのが、我々の義務である・・・イランは最も強力な、最も発展した国家にならねばならぬ・・・」※2

イランは今日、政権上層部内の権力闘争が最高潮に達している。改革派陣営はイランの政治舞台から姿を消し、政権の重心は、原理主義的で、軍国主義的で、保守的なグループに移った。このグループの中核はアヤトラ(高位聖職者)ムハンマド・タキ・メスバハヤズディMohammed Taqi Mesbah-e Yazdiといった聖職者、それに治安権力組織である。とりわけ革命防衛隊、(民兵組織の)バシージュ、諜報機関などで、今日、このグループがマジュリス(国会)と大統領執務室を支配している。

ハメネイの対応

大統領選挙の前夜、イランの最高指導者アリ・ハメネイAli Khameneiは、政権内の二つの政治勢力間のバランスを取る必要に関する自らの政策を説明した。「我々は、憲法に忠実な二つの派閥の存在が政権の助けになっていると信じている・・・(二つの派閥、つまり保守派と改革派は鳥の)二つの翼のように機能し(政権の)飛行を可能にしている・・・互いに競争し、かつ進歩的な雰囲気の中で・・・我々は憲法を信じない者たち、また国民の指導にあたる政権を信じない者たちを許さない・・・適切な中庸のアプローチは改革主義者の保守主義である」※3

ハメネイはこの確信に基づき「改革要求者」陣営が政治舞台から消失したことの補修を図った。原理主義的保守主義による「第二革命」(の懸念に対する)対策だった。そして政治バランスーー全ての権力センターが保守主義者の手に落ちたことによって覆った政治バランスの修復を試みた。これら保守派の一部はハメネイ自身よりも一層過激な原理主義者だ。

ハメネイはこの目的のため、2005年10月はじめ、大統領選でアフマディネジャドに大敗した「公益判別評議会」議長アリ・アクバル・ハシェミ・ラフサンジャニAli Akbar Hashemi Rafsanjaniの立場を強め、同評議会の権限を拡大した。これにより、政権の包括的政策に対する同評議会の監督権限を増強し、政権の(行政、立法、司法)3部門の活動に対する同評議会の監督権限を増強した。※4

ハメネイはこの措置により、公式にラフサンジャニの地位をイラン指導部におけるナンバー2とした。ラフサンジャニはイラン政権の3部門を監督することになり、政権のヒエラルヒーで、大統領アフマディネジャド、マジュリス議長ゴラム・アリ・ハダド・アデルGolam-Ali Hadad-'Adel、司法制度長官(司法府代表)アヤトラ・マハムード・ハシェミ・シャハルーディMahmoud Hashemi Shahroudiよりも高位となる(ラフサンジャニより高位者はただ一人。もちろんのこと最高指導者で国家元首のアリ・ハメネイ自身だ)。※5

ハメネイのこの動きは、現在ラフサンジャニが代表する比較的穏健な陣営を強化するものだ。ラフサンジャニはアフマディネジャド一派とは対照的に、プラグマティックな指導者と見なされている。ラフサンジャニは決して「改革要求者」の一人ではない。しかし、近年、とりわけ経済と外交で彼が表明してきた立場は、彼の実用主義を証明している。ラフサンジャニはイスラム革命草創世代の一人である。アヤトラ・ホメイニに近い下級聖職者だったが、革命以来、政権サークル内でトップのポストに坐り続けた。ハメネイの考えだと、ラフサンジャニは金持ちで、かつ国家問題で高度な影響力を持つ人物として、アフマディネジャド一派の増大する過激主義への均衡勢力となってきた。※6

ラフサンジャニの権限増強に関しては、もう一つのバージョンがある。イランのウエブフォーラム(複数)によると、ラフサンジャニの地位を高めたのはハメネイのイニシアチブではなかった。ハメネイはアヤトラたちの圧力に応じたのだ。アヤトラたちの中には司法制度長官シャフルーディや「専門家会議」議長メシュキニMeshkiniなどが含まれる。アヤトラたちはハメネイのところにやってきてアフマディネジャドの解任を要求した。これは、これらアヤトラたちが責任者の組織や機関の活動に関し、アフマディネジャドが管理・財政報告を求めたためだった。アヤトラたちは、大統領解任には前例があるとも言い、1981年6月、アヤトラ・ルホラ・ホメイニRuhollah Khomeiniによるバニ・サドル大統領Bani Sadr解任に言及した。

ハメネイはアヤトラたちの要求を拒絶した。しかし、アヤトラたちがハメネイ自身を追放すると脅すと(アフマディネジャド解任の)代替策を取ることに同意した。それが、ラフサンジャニの権限の増強と彼をアフマディネジャドの上位者とすることだった。※7

政権内における権力抗争浮上の可能性については、イランの反体制知識人で現在米国で活動しているモフセン・サゼガラMohsen Sazegaraが分析している。※8 サゼガラによると、2005年6月の大統領戦後、それまでハメネイを支持してきた原理主義保守派グループが、ハメネイの絶対的地位に対する脅威に転じた。※9

まさに、このグループーーつまり革命防衛隊とバシージュこそ、近い将来ハメネイ打倒する可能性のある勢力だ。皮肉なことに、古参の保守派を犠牲にしてこのグループの権力を増強し、その政治活動を認めたのはハメネイ自身だった。この原理主義保守派グループは現在、イラン政府の軍国主義化を試み、可能なかぎり多くの政治ポストの制圧を図っている。

サゼガラによれば、将来ハメネイが脅かされることになりそうなもう一つの領域に「専門家会議」がある。同会議は、イラン憲法でハメネイを追放できる権限が与えられている。

ハメネイは「イスラム法学者の支配(ベラヤティ・ファギ)」教義が求めるイスラム法学者としての資格に乏しかった。しかし、イランの精神的指導者アヤトラ、ルホラ・ホメイニの後継者に任命された。任命したのは、「イスラム法学者の支配」教義を定めたホメイニ自身だった。以来ハメネイが権力の座にあるのは「専門家会議」ーーイスラム革命政権に忠実なアヤトラたちで構成される最高機関ーーの支持を得ているためだ。同会議はこれまで、ハメネイの決定のすべてを支持してきた。しかし、サゼガラによると、もし来年の選挙の結果、会議メンバーの構成が変化し、新メンバーがアヤトラ、メスバハヤズディはじめ原理主義軍国主義派を優先するならば、会議の惰性的なハメネイ支持は切り崩されよう。※10

(イラン政権)上層部で浮上する権力抗争の特徴

アフマディネジャドら原理主義軍国主義派は保守派政権の古参幹部たち、および、これら古参幹部がイスラム革命の26年間に蓄積した経済力にとって、日増しに強まる脅威だ。

A、(権力抗争の)宗教的、イデオロギー的様相

最近の数週間、アフマディネジャドが厳格な原理主義的政策を企画し、履行しているとの報道が増えている。これら政策の目的は、アフマディネジャドが「イスラム革命の価値に従ったイスラム的正義」の獲得に関して述べてきたことを履行することだ。アフマディネジャドは先の(大統領選)選挙キャンペーンで、「イスラム的正義」の理想実現に対するイデオロギー的忠誠を宣言している。

アフマディネジャドの公の演説(複数)は彼の宗教的誓約を立証している。それはアヤトラ・ルホラ・ホメイニの精神にあるシーア派の救世主思想への誓約であり、「お隠れのイマーム」の再現への誓約であり、そして、二つの文明、つまりイスラムと西側の歴史的な、生存を掛けた闘争の(存在と、その結果を信じる)深遠な信念に対する誓約だ。彼にとって、この闘争はイスラムが必ずや勝利する闘争である。これらの原則をアフマディネジャドは自らの政府とイランの、実現に努力せねばならない指針と見なしている。※11

以下は(誓約の)3つの例である:

1、「イスラム的正義」の理想への誓約

11月はじめ以来、拡大的土地改革の履行と貧民層への政府企業の株式付与に関するアフマディネジャドの意向が何回か報道された。また、政府系7銀行の理事会メンバーを入れ替える計画も報道された。その直後、テヘランの株式市場が暴落し、2週間株価は持ち直さなかった。※12 アフマディネジャドはまた、政府諸省および政権高官の間に広がる腐敗に対して行動を取ると約束した。※13

これらの措置は、政権高官への脅威となる。これら高官は、アフマディネジャドが彼らの行政手法を暴露するならば、害を被る。保守派古参政権の上層部は長年の間、日常事務処理にかかりっきりとなり、救世主思想やイラン革命の理想から遠ざかった。これら古参高官は派閥抗争や言い争いにふけった。また、アヤトラや政権高官たちは、個人的に腐敗していると非難された。近年ラフサンジャニ自身、政権(の腐敗)と経済的腐敗、とくに石油省の腐敗に関与したとして親族とともに非難を浴びた。アフマディネジャドが任命した石油相を、これまでのところマジュリスが承認していないことは注目すべきだろう。

2、シャハーダ(殉教)の理想への誓約

アフマディネジャドは大統領として二度目のテレビ出演で「殉教の芸術」を賞賛している。殉教を一つの価値として、また政治的目標達成のための合法的な手段として、その重要性を強調した。彼は、「我々は攻勢的な芸術を欲する。攻勢の芸術は、高貴な諸原則を高め、また防衛する。『殉教の芸術』は腐敗した、卑しい、神に従わない、非人間的な諸原則を攻撃する。芸術は、最良の生と最良の死を描く時完成に達する。結局のところ芸術があなたたちに教えることは、いかに生きるかだ。それが芸術のエッセンスだ。殉教の芸術よりも、より美しく、より神的で、より永遠の芸術はあるだろうか。殉教(の慣習)を擁する民族は、囚われることを知らない。この原則を打ち砕こうと欲する者が(実際に)打ち砕いているのは、我々の独立と民族の安全の基盤だ。彼らは、我々の永遠性の基盤を打ち砕いている・・・」※14

また、「イラン・イスラム共和国放送」は最近シャハーダを賞賛する幾つかの番組を放映した。その中には子供たちのための漫画も含まれた。これらのクリップは以下で見ることができる。

クリップNo. 917: http://memritv.org/search.asp?ACT=S9&P1=917

クリップNo. 908: http://memritv.org/search.asp?ACT=S9&P1=908

クリップNo. 907: http://memritv.org/search.asp?ACT=S9&P1=907

クリップNo. 906: http://memritv.org/search.asp?ACT=S9&P1=906

クリップNo. 736: http://memritv.org/search.asp?ACT=S9&P1=736

3、イスラムと西側との歴史的な、生存をかけた闘争への誓約

アフマディネジャドはラマダン月の最後の金曜日に祝われる「クドス(エルサレム)の日」に先立ち、「シオニズムのない世界」会議に参加した。その演説で、自分の世界観ーーイスラム世界と西側との間の歴史的で、全面的かつ生存を掛けた、道徳と文化をめぐる闘争が存在するという不変の信念が吹き込まれた世界観ーーを表明した。この世界観の文脈だと、イスラエルは、上記の世界的な抗争のローカルな、一時的な戦線に過ぎない。(この演説はMEMRI Special Dispatc No.013、October 28,2005

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP101305.)

で見ることができる)

B、構造的様相

イランのコメンテーター、アラシュ・マフダビArash Mahdaviは、アフマディネジャドの信頼する顧問モジュタバ・ハシェミ・サマレMojtaba Hashemi Samarehの正体を暴露した。マフダビによると、サマレは革命防衛隊と繋がりを持ち、同時にイランの諜報機関と繋がりがある。また、アヤトラ、タキ・メスバフヤズディの親友だ。前外相アリ・アクバル・ベラヤティAli Akbr Velayatiの時代、サマレは外務省の人事課長で、在外公館勤務を申請する者たちの忠誠心と宗教的実績についてーームスリムとして十分に信心深いかどうか、政権に十分に忠誠であるかどうかチェックし、外交スタッフを脅かした。※15 また、マフダビは、アフマディネジャドのテヘラン市長時代、同市役所におけるサマレの君臨ぶりについても述べている。

アフマディネジャド内閣の閣僚は、ほとんどが若い幹部士官で、革命防衛隊や諜報機関で育ってきたイラン革命中間世代のメンバーだ。彼らはイスラム革命の原理主義的解釈に忠実であり、自分たちがアヤトラ、ルホラ・ホメイニの道を継続していると見なす。アフマディネジャドは政府の重要ポスト、中でも外務、諜報、内務、防衛、文化、イスラム指導省の大臣ポストを、革命防衛隊士官出身の仲間、超保守主義の日刊紙ケイハンの友人、テヘラン市役所の仲間、それに保守的なマジュリス副議長ムハンマド・レザ・バホナルMohammed Reza Bahonarの友人に与えた。バホナルはサマレの伯父だ。

注目されるのは、これらサークルが一人の高位の聖職者に忠実であり、この高位聖職者の裁定をイスラム法学の最高権威として受け入れていることだ。この高位聖職者こそ、諜報機関と革命防衛隊の宗教教師、アヤトラ・タキ・メスバフヤズディだ。

アフマディネジャドは2005年8月、マジュリスで、無名の仲間4人の任命承認に必要な多数を得ることができなかった。※16 また、大統領としての貧弱なふるまいがラフサンジャニや改革派報道機関から批判された。これに対し、アフマディネジャドはマジュリスを脅した。自分が任命した人物を承認しないなら、その結果はマジュリス自身が負うことになると語った。また、イラン国民に是非を問うと脅し、「国民はマジュリスの中に住むマフィアの権力と富に反対し、政府に支持を示すだろう」と語った。また、「大統領を侮辱することは犯罪に等しい」とも語った。※17

一方、「公益判別評議会」の権限が増強されると、ラフサンジャニはまず、前大統領ムハンマド・ハタミを政界に引き戻した。ラフサンジャニは、改革要求派に色分けされるハタミを同会議アドバイザーに任命した。※18 実際、ラフサンジャニとハタミは二人で、イラン外交の二つのキーポイント、イランの核開発問題と対イスラエル姿勢に関し、アフマディネジャドの攻撃的な声明をイラン外務省の線に沿って緩和した。※19

実際、上記の二つの問題は以下に述べるように、原理主義の軍国主義保守派と比較的プラグマティックな保守派間の相違を描くのに最も適している。

1、対イスラエル姿勢

(イラン)政権の指導者たちは穏健派と原理主義者双方とも、イスラエルの存在の不当性と(イスラエルに関する)最終的目標に関してコンセンサスができている。最終目標は、イスラエルの代わりにムスリムのパレスチナ国家を樹立することだ。しかし、両派の態度は対イスラエル政策をどう展開すべきかで分裂する。

原理主義軍国主義派、その代表者がアフマディネジャドだが、同派メンバーは、イランの公的なイスラエル政策を躊躇せず無遠慮に表明する。同派は権力を握って以来、対イスラエル政策を積極的に、かつ好戦的に解釈してきた。彼らはーーイスラム世界と西側の間の全面的な、歴史的な。生存を掛けた、道徳上の、文化的な闘争を反映する広範な世界観の文脈でーーイスラムにおけるイスラエル抹殺を公然と求める。今日、イスラエル、つまりパレスチナはイスラム世界と西側との全面的な闘争においては一つの戦線に過ぎない、※20

一方、比較的プラグマティックな人々はイランが他の主権国家の破壊を公然と求めることには熱狂的ではない。それが、国際舞台でイランにとって有害に働くと知っているからだ。これらの実用主義的な人々とは、イランの前大統領ハタミを指導者とする改革派サークルや、ハタミの政策履行のために働き、イランの最高指導者ハメネイの支持を得たイラン外務省の人々だ。※21

これらプラグマティックな人々によれば、イスラエルは別なやり方、つまりパレスチナ人の手で、また西側が好む「民主主義」の手段によって排除される。これら実用主義的な人々は、パレスチナの元々の居住者ーーつまりムスリム、キリスト教徒、ユダヤ人、そして当然ながら数世代のパレスチナ人のムスリム難民ーーだけが、自分たちの将来に関する選挙の投票権を持つと提案している。この提案によれば、その大半がユダヤ人であるイスラエル国民は、こうした選挙の投票権を持たない。なぜなら、イスラエルは正当な政治実体ではないからだ。こうして、ほとんどの投票がパレスチナ人ムスリムの投票となるため、イスラエルは存在を停止することになる。イランの指導者ハメネイも、この比較的穏健なアプローチの提唱者だ。彼は最近、この点に関する声明を発表し、上記の線に沿った反イスラエル闘争の継続を詳説したに。※22

2、核問題

この問題をめぐる原理主義軍国主義派閥と比較的プラグマティックな保守派閥の緊張とギャップは一層厳しく、また際立っている。

イラン指導部は保守派も改革派も核開発計画に熱狂的だ。イランは2005年8月あらゆる濃縮関連活動を凍結するという国際社会への約束を破った。以来、イランは欧州との危機に計画的に、またコントロールしながら対応してきた。欧州と世界が折れ、イランの条件を漸次受け入れる状態に持っていくことが(当面の)狙いだった。(最終の)目標は、イランが(核兵器の開発と生産を可能にする)核燃料サイクルを獲得でき、それを国際社会に既成事実として受け入れさせることだった。

アフマディネジャドはこれまでの大統領たちと違い、欧州および国際社会との抗争を、たとえイランがその抗争によって高い代償を支払わねばならないとしても、恐れない。イランの一方的な行為を国際社会に押し付け、同意を強いるのがアフマディネジャドの戦法だ。

アフマディネジャドは、欧州との交渉で妥協の意向は見せていない。彼の声明は他のイラン高官と同様、イランが抗争に向かっていることを明示している。イランと欧州との交渉は、さる8月イランがイスファハンでウラン転換を再開したことで崩壊した、アフマディネジャドらイラン高官は欧州との交渉を継続する用意があると主張する。しかし(イランの核開発問題は)もはや交渉の対象にはならないとも断言する。また、欧州がイランの核燃料サイクルの要求を拒否するなら、イランには実際のウラン濃縮を自らのイニシアチブで再開する権利があり、ナタンズの遠心分離機工場で作業を再開する権利があると主張する。また、イランに対して考えられる懲罰手段はなんであれ、イランを害する以上に欧州と米国自身を害するとも主張する。※23

こうした経緯からイランは欧州の最近の提案を拒否した。明らかに米国の支持を取り付けた提案だった。イランは国内で初期段階のウラン濃縮はできるものの、ほとんどの濃縮は国際機関の監視下ロシア国内で行われるとの内容だった。※24

イランは過去2年間穏健で、あたりさわりのない瀬戸際政策を取ってきた。これは、イランの実用主義的な派閥、つまりハタミ大統領下のイラン外務省の政策だったが、原理主義保守主義者の一部、とりわけ超保守主義の日刊紙ケイハンから激しい批判を浴びてきた。原理主義者たちは、欧州との交渉においてイランは厳格であるべきで、また妥協すべきではないと主張する。さらに、原理主義者たちは欧州との核対話の道が果たして賢明かどうか疑い、過激な一方的な措置すら要求した。※25

現在イランの核政策を形作るポジションにあるアフマディネジャドは、約40人の大使を解任した。これは、外務省内の改革思考派に対する追放措置の一部と見なされている。※26 また、このアフマディネジャドの措置、とりわけ欧州とアジアにおけるイランの枢要な大使の解任は、ラフサンジャニと「公益判別評議会」の権限増強への挑戦であり、結局のところはイランの核政策問題の最終決定者であるハメネイ自身の政策に対する批判と見なされる。※27

ロンドンの日刊紙アル・ハヤートの記事によると、アフマディネジャドは解任の前、大使たちと会った。この際、自分は欧州人を信用していない、2004年11月イランと欧州の間で調印されたパリ合意は「帝国主義的政策を持つ」ものだと語った。欧州はイランの立場を受け入れねばならず、もし受け入れないなら「我々は、彼らの扱い方を知ることになろう」と語ったという。

また、この記事によると、大使たちはこう主張したという。「欧州連合(EU)はイランと事を構えることを望んでいない。EUは、近代的な核技術を獲得するイランの権利を尊重している。また、パリ合意は(イランとEU間の)漸進的な信頼醸成を切望する内容だ」と語った。しかし、アフマディネジャドは大使たちの主張を拒絶し、欧州は「自分自身が人権を尊重していないのに」人権問題に基づく教訓をイランに教えようとしていると語った。※28

最近の情勢

ハタミは、過激派はビンラーディンを模倣し、タリバンとの競い合いを望んでいると言う

この数週間、アフマディネジャドに対する政治的経済的諸問題に焦点を当てた批判が続いた。加えて、イデオロギーに関する批判も現れた。批判の急先鋒となったのは前イラン大統領ムハンマド・ハタミだ。ロンドンの日刊紙アル・ハヤートによると、ハタミは、イランの過激派は「ビンラーディンのまねをしたがっている」とし、「イスラムとイランを攻撃する敵に最善の正当化(の口実)を与えている」と語った。ハタミはまた、過激派は「民主主義、自由、進歩への忠誠が、イスラム世界の革命国(イラン)の名声を害している」と考え、「彼らは、暴力を求めること、また宗教に反する過激派の犯罪を遂行することにおいて、タリバンと競い合っている・・・」と付け加えた。※29

イランの指導者ハメネイは、メディアによるこの抗争の暴露を阻もうとしている。彼はまず事態緩和の試みとして、アフマディネジャドに接近した立場を取り、彼と彼の職務遂行を賞賛した。また、誰も彼を批判してはいけないと要請し、政府内の全ての政治勢力の支持を求めた。さらに、イランが現在微妙な段階にあると指摘し、政治的な対立を忘れるよう求めた。事実この後、ハタミのコメントはイランの新聞では報じられなくなった。※30

しかし、我々の評価だと、こうした措置では、イラン政権上層部の内部抗争の継続は阻めない。実際(内部抗争の)氷山の一角を反映する報道が連日続いている。改革派の新聞シャルク11月15日付によると、マジュリス(国会)メンバーはアフマディネジャドに対する弾劾計画はないと語ったという。一方、今日11月16日のイランのwww.roozonline.com によると、「アフマディネジャドに近い筋は、大統領打倒を図る秘密グループの存在を語語っている」という。※31

(筆者のA.サビヨンA.Savyonはメムリのイラン・メディアプロジェクトIran Media Projectのディレクターである)

注:

(1)MEMRIのInquiry and Analysis No.229「保守派大統領の選出によって果たされたイランの『第二イスラム革命』」(2005年6月28日付)

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=ia&ID=IA22905.

(2)2005年11月15日付シャルク紙(イラン)、2005年11月15日のイラン革命通信(IRNA)

(3)2005年10月5日のIRNA、MEMRIのInquiry and Analysis No.226「近づくイラン大統領選挙(パート2)」(2005年6月16日)

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=countries&Area=iran&ID=IA22605#_edn9.

(4)この考えは実際のところ、8年前ハタミ大統領の任期中に提起された。しかし、アフマディネジャド内閣指名直後に初めて、イランの指導者ハメネイがその履行を決定した。また、「公益判別評議会」に権限を与えたタイミングに関する批判と、公益判別評議会の資格に対して提起された疑問については、保守派週刊誌パルト・ソカンPart--e Sokhande2005年11月2日号を見よ。

(5)このことと、それ以前のハメネイの施政を点検すると、実は彼の振る舞いがシャー(イラン国王)に似ていることがわかる。域内の政治権力ループの間を動き回る一方で、自分は監督者であり、これら権力グループよりも高位にあるという手法だ。イスラム革命の達成は2500年に及んだシャー王制を廃棄した。しかし、近年のハメネイの施政を分析すると、内部権力のバランスを取りながら、イラン統治の伝統ーー危機が生じた際に初めて介入するという手法を続けていることがわかる。

(6)ラフサンジャニの見解はさらに

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=countries&Area=iran&ID=IA22605#_edn9.

で見ることができる。

(7)ラフサンジャニは権限の増強を受け入れたが、その際、その付加された権限が「公益判別評議会」に与えられること、また、その権限は同評議会議長の資格でのみ使用することを条件とした。以上は、ガルフ2000フォーラムGulf2000Forum(2005年11月14日)にフォーラムダイレクター、ゲイリー・シックGary Sick名で発表されたテヘラン筋の報告による。

(8)MEMRI Special Dispatch No.384「イラン反体制派がハメネイに言う。『お前は悪の支配者だ』』(2002年5月26日)を見よ。

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP38402.

(9)メヘディ・ハラジMehdi Halajiとモフセン・サゼガラMohsen Sazegaraの記事=ワシントン研究所ポリシーウオッチNo.1022(2005年8月11日)=を見よ。

(10)ハメネイの権威が弱まるかもしないという症例の一つは、最近、コムの幾人かのアヤトラたちとハメネイの間で起きた衝突に見ることができる。イードルフィトル(断食明けの大祭)の休日開始時期ーー月の満ち欠けによって決められるーーをめぐる抗争だった。この抗争を超保守派日刊紙ケイハンの編集長でハメネイの支持者であるホセイン・シャリアト・マダリHossein Shari'at-Madariが煽った。コムのアヤトラたちのほとんどは、休日は金曜日に始まると判定し、ハメネイもそれに加わった。一方、3人のアヤトラーーバフジャトBahjat、ファゼル・ランクラニFazel Lancrani、ユーセフ・サネイYousef Saneiは、木曜日に始まると判定した。シャリアトマダリは論説で(大祭開始日に関する)判定の特権はこれまでコムのアヤトラたちにあったが、今回はハメネイが特権を持ったと述べた。木曜日にイードルフィトルを祝うアヤトラたちに干渉し、コムのヒズボラ組織メンバーが暴動を起こした。暴動の組織者たちは逮捕され、彼らの家で、これらアヤトラたちを非難するシャリアトマダリの数千のパンフレットが発見された。コムの幾人かのアヤトラたちは自分たちの問題に干渉したとシャリアトマダリに抗議し、彼は謝罪の手紙の掲載を強いられた。2005年11月5日付ケイハン紙(イラン)http://www.kayhannews.ir/840814/2.htm#other204

2005年11月8日付ケイハン紙

http://www.kayhannews.ir/840817/2.htm;

2005年11月9日付ジュムフリ・イスラミ紙Jomhouri-e Eslami(イラン)

http://jomhourieslami.com/1384/13840818/index.html.

(11)例えば、アフマディネジャドの声明「国民は革命の価値への復帰を望んでいる」(2005年11月15日付シャルク紙)を見よ。

(12)シャルク紙(イラン)2005年11月1日付、2005年11月6日付、2005年11月13日付、2005年11月12日付。ケイハン紙(イラン)2005年11月10日付。

http://www.bbc.co.uk/persian/business/story/2005/11/051113_ra-iran-banks.shtml

(13)例えば、ケイハン紙(イラン)2005年11月10日、2005年11月11日、およびジュムフリ・イスラミ紙(イラン)2005年11月15日

(14)MEMRISpecial Dispatch No.945「新イラン大統領、殉教を賛美する」(2005年7月29日)

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=countries&Area=iran&ID=SP94505.

(15)マフダビのレポートだと、サマレは伯父である保守派のマジュリス副議長ムハンマド・レザ・バホナルMohammad Reza Bahonarのおかげで外務省にポストを得ることが出来た。マフダビによると、調査はイラン外務省の地下室で数日間かけて行われ、サマレが個人的に参加した。サマレはまた外交スタッフを指導し、訓練した。彼が教授したコースの一つは「異端者の心理学」だった。サマレによれば、熱心なムスリムは、そのズボン、靴、微笑によって特定できる。例えばズボンに完璧な折れ目がついているなら、それは、その外交官が忠誠と特権を優先していることを示し、また親西側の諜報要員に弱いことを示す。また、礼拝に献身的ではないサインでもありうる。もし、靴に紐がなく、かかと革が押しつぶされているならば、モスクの入り口で素早く靴を脱ぐことに慣れていることのサインだ。「一方、よく磨いた、流行の、紐の付いた靴を履いている者は、あきらかに靴を脱がない者たち」であり、熱心なムスリムではない。加えて、見知らぬ者に対して微笑むのは西側のアイデアであり、他人の心を獲得したいと欲する人の考えだ。

(16)石油、文部、厚生(社会福祉)、協同組合の各省だった。第7期マジュリスは保守派が多数を占めており、その最大派閥「イラン開発者連合(アバドガランAbadogolan)」はアフマディネジャドを支持している、しかし、アフマディネジャドの決定を右から左にそのまま通すわけではない。マジュリスには前世代の保守派議員たちがいる。彼らは軍国主義派閥である「イラン開発者連合」のライバルであり、アフマディネジャドの政策を支持しない。アフマディネジャドは大統領就任演説で、マジュリスと各省の腐敗と戦う意向を宣言した。マジュリスは彼の閣僚指名を拒否し、これら被指名者は行政の経験、また政治的、プロフェッショナルな経験を欠いていると主張した。アフマディネジャドはマジュリスで拒否された候補者を、マジュリスの承認を必要としない他のトップポストに任命した。しかし、アフマディネジャドが再度マジュリスに提出した候補者リストは、うち3人しか承認されなかった。石油相のポストは空席のままだ。

(17)2005年11月10日付ケイハン紙(イラン)、2005年11月10日付シャルク紙(イラン)。他に

http://roozonline.com/11english/011549.shtml.

を見よ。

(18)ハッサン・ロハニHassan Rohanimも、ハタミ大統領時代、イランの核問題担当だった。

(19)ラフサンジャニはラマダン期間中の金曜礼拝で、こう言うよう強いられた。イランはユダヤ人に反対しているわけでなく、イスラエルに反対しているだけだ(J2005年10月29日付ジュムフリ・イスラミ紙)。また、ハタミは、こうした種類の宣言はイランにとって助けにならず、国際領域でのイランの国益に助けにならないと語った。彼はアフマディネジャドと、後者が大統領に就任する以前から争ってきた(2005年10月31日付シャルク紙)

(20)アフマディネジャドの「シオニズムのない世界」会議における演説の引用を見よ。:「『傲慢の世界』に反対する戦いで、我々の親愛なるイマーム(ホメイニの意)は

アルクドス(エルサレムのこと)を占領する政権を彼の戦いの標的に設定した。我々の親愛なるパレスチナで始まった(自爆作戦の)新たな波は・・・イスラム世界すべてに広がった。この不名誉の汚点(イスラエルのこと)は間もなくイスラム世界の中心から排除されるだろう・・・そして、このことは達成可能だ」。MEMRI Special DispatcN0.1013「イラン大統領はテヘラン会議でこう語った。『不名誉の汚点(イスラエルのこと)は間もなくイスラム世界の中心から排除されるだろうーーそして、このことは達成可能だ』」

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=countries&Area=iran&ID=SP101305.

また、アフマディネジャドの発言「イスラム世界の誰であれイスラエルを公式に承認する権利はない」(2005年10月31日付シャルク紙)を見よ。

(21)「文明間の対話」と「平和のための連合」のイニシアチブを含めたハタミ大統領の緊張緩和政策の枠組み内で。

(22)ハタミの発言(2005年11月5日付ケイハン紙(イラン)とジュムフリ・イスラミ紙(イラン))を見よ。同じく、イラン外相マヌーチェフル・モッタキManuchehr Motakiは、イランは間もなく国連にこの決議案を提出し、その推進のため活動すると語った。

(23)2005年11月12日付シャルク紙(イラン)のレポートを見よ。

(24)2005年11月14日付シャルク紙(イラン)。米国がこの提案に同意した事実を否定したこと、また、イランとロシアも後に、この種の提案が存在したことすら否定したことが注目される。

(25)MEMRIのInquiry and Analysis No.181「イランの内部論争:核開発計画に関する西側の圧力にいかに対応するか」(2004年6月17日)

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=countries&Area=iran&ID=IA18104

(26)イラン外務省の一連の解任劇については、2005年11月2日付アッシャルクルアウサト紙(ロンドン)、および2005年11月5日付シャルク紙(イラン)を見よ。

(27)また、2005年11月2日付ジュムフリ・イスラミJomhouri-ye Eslami(イラン)によると、ラフサンジャニはイランの対エジプト関係のレベルは十分ではなく、格上げすべきだと語った。これはアフマディネジャドの立場に反するものだ。また、イランの核問題担当のアリ・ラリジャニ'Ali Larijaniが、テヘランは欧州との交渉の即時無条件再開に同意すると述べ、とりわけ穏健な声明を発表したことは注目すべきだ。交渉再開の条件にイスファハン施設におけるウラン転換を含めないというアフマディネジャドの要求を無視するものだからだ。ラリジャニはハメネイの仲間として知られる。

(28)2005年11月5日付アル・ハヤート紙(ロンドン)

(29)2005年11月15日付アル・ハヤート紙(ロンドン)

(30)2005年11月15日付ケイハン紙(イラン)、シャルク紙(イラン)

(31)2005年11月15日付シャルク紙(イラン)

(2005年11月16日付)

http://roozonline.com/11english/011770.shtml


 

 

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