メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 調査および分析シリーズ
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THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

調査および分析シリーズ


 
Inquiry and Analysis Series No 500 Apr/6/2009

ジハード主義の大物転向者、アルカーイダと新論争
筆者:ダニエル・ラブ(Daniel Lav)*

はじめに

ジハード主義の大物イスラム学者サイイド・イマーム・シャリーフ(Sayyid Imam Al-Sharif)は最近、アルカーイダへの新たな反論本「潔白立証の正体を暴く」を発表した。このタイトルの意味を説明するためには、この本の著作に繋がった出来事を振り返る必要がある。

2007年末、「エジプト・ジハード団」の元指導者で、現在服役中のイマームが新たな本の出版を準備しているとの噂が流れた。イマームはこの本で、ムスリム諸国の指導者に対するジハードと西側におけるジハードの双方を終結するよう呼びかけるとされた。イマームはかつて(アルカーイダ・ナンバー2のエジプト人)アイマン・ザワーヒリの長年の仲間だった。この新著「エジプトと世界におけるジハード活動の正しいガイダンス文書」(略称「正しいガイダンス文書」)は2007年11月18日から12月4日にかけ、新聞連載という形で発表された。同著は、イスラム法の見地から現在ジハードを回避すべきだとの主張を展開。また、最近のジハード主義活動を具体的に批判した。これら批判の根底には、最近のジハード主義運動が、イスラム法に述べられたジハードの適切な実践から逸脱しているというテーマがある。さらに(イマームの)ジハード回避論の根拠になっているのは、今日ジハード主義グループ(複数)は弱体であり、ジハードを成功させることはできないという事実だ。

「正しいガイダンス文書」はまた、(エジプト政府に対する)公式の停戦宣言の役割も果たし、エジプト・ジハード団の獄中メンバー複数が署名した。この理由のため、イマームは「正しいガイダンス文書」を書くにあたって一般的な言葉を使い、また、批判の標的がアルカーイダであるとは名指ししなかった。イマームは、一部の服役囚が外部世界のニュースから遮断されており、アルカーイダを依然高く評価していると説明した。イマームは「正しいガイダンス文書」に出来うる限り支持を集めようと望んだ。このため、自分の理論的立場の披瀝に留まり、アルカーイダが自分の立場を侵犯しているかどうかは触れなかった。※1 しかし、ハヤート紙のインタビューではアルカーイダ、そしてビンラーディンとザワーヒリを非常にきびしい言葉で攻撃した。※2

ザワーヒリは当初躊躇したものの、イマームに対する反論の著作「(アルカーイダなどに対する)弱体と疲労に原因する(アルカーイダなどの)非難に対し、ペンと剣の共同体の潔白を立証する」(略称、「潔白立証」)を発表した。この著作はイマームを幾つかの点で非難した。第一に、「正しいガイダンス文書」は脅迫されて執筆されたと決め付けた。また、イマームは拷問を受け、米中央情報局(CIA)とエジプトの諜報機関の監督の下で、この著作を書いたと断言した。(ザワーヒリはこの理由から「正しいガイダンス文書」の著者をイマームとは特定せず、ただ「(正しいガイダンス)文書の著者」と言うに留まっている)。第二に、ザワーヒリは「正しいガイダンス文書」の(イスラム)法上の主張に反駁を試みている。(ザワーヒリは)イマームの最も重要な主張――ジハード(の勝利)の前提条件は(イスラム勢力の)「能力」━軍事的、財政的、その他の能力だが、今日(イスラム勢力は)この条件を満たすことができないーーに反駁を試みている。(ザワーヒリが)「潔白立証」で取り上げたトピックは他に、兵士と市民の区別、同種報復(アル・ムアーマラ・ビル・ミスリ)、ビザ(入国査証)を得て外国に入るムジャーヒドゥン(イスラム戦士)は攻撃を行えるかどうか、「人間の楯」の問題、年少者はジハード参加の許可を両親から得る必要があるかどうかーーなどがある。「潔白立証」はまた、他の一連の時事的、歴史的な問題、例えば9・11テロ、アルカーイダとタリバンの関係、エジプト・ジハード団の歴史、(アフガニスタン戦争のイスラム義勇兵の精神指導者)アブダッラー・アッザーム(’Abdallah ‘Azzam)に関するイマームの見解、シーア派を攻撃するアルカーイダの立場などを取り上げている。一方、イマームの新著は、そのタイトル「潔白立証の正体を暴く」が示すように、ザワーヒリの「潔白立証」に対する反駁を意図したものだ。

イマームの「正しいガイダンス文書」は、ザワーヒリに加え、他の指導的なジハード主義思想家も非難している。うち最も重要な2人はアブームハンマド・マクディシ(Abu Muhammad Al-Maqdisi)と、アブーバシール・タルトゥシ(Abu Basir Al-Tartusi)である。マクディシは、ヨルダン在住の影響力のあるジハード主義学者で(イラク・アルカーイダの創設者)アブームスアブ・ザルカウィ(Abu Mus’ab Al-Zarqawi)の師として知られる。タルトゥシは亡命シリア人のジハード主義者である。両者は、とりわけアルカーイダのイラクにおける戦術の一部を批判する。しかし、両者の声明は常に建設的批判の言葉でなされ、(イマームのように)ジハードの停止を呼びかけはしない。

ジハード運動の創始者たちは今日、基本的に3つの陣営に分かれる。1つは、アルカーイダの無条件の支持者。2つ目は、世界的ジハードを支持しながらも、特定の戦術と実践には批判的なジハード主義の学者たち(例えば、マクディシやタルトゥシなど)。3つ目は、理論上はジハードを支持するが、アルカーイダをきびしく批判し、ほとんどのジハード作戦はさまざまな不測の事態のため、現在停止すべきと信じている人々(例えばイマーム)。

イマームの「潔白立証の正体を暴く」は、彼が「正しいガイダンス文書」とハヤート紙のインタビューで行った主張の繰り返しが多い。もっとも、前著「正しいガイダンス文書」はアルカーイダの名指し批判は回避した。このため、「潔白立証の正体を暴く」は基本的に、アルカーイダそのものの包括的批判を展開したイマームの初の文書となっている。加えて、イマームが「潔白立証の正体を暴く」で使用した言葉は、イマームがこれまでに使ってきた言葉より一段と厳しい。ビンラーディンとザワーヒリが背教者であると繰り返し示唆し、両者をダッジャル(反キリスト)にすらなぞらえている。

「潔白立証の正体を暴く」は4章から成っている。第1章は、ザワーヒリが嘘つきの常習者であることを示そうとしている。第2章は、アルカーイダが、その行動を正当化するため異端の法学派を創設したことを示そうとしている。第3章は、ザワーヒリの「潔白立証」に関する様々な問題を取り扱っている。第4章は、ザワーヒリの個人的履歴とアルカーイダとの関係を論じている。

1章:ザワーヒリは嘘つきである

イマームの新著「潔白立証の正体を暴く」はザワーヒリとアルカーイダとの論争の第2ラウンドを開くものだ。最初から辛らつさが明らかである。イマームはここでコーランの16章105節「まこと、アッラーのお徴を信じないような者は、どうせいいかげんなでたらめをでっち上げているだけのこと。そのような者どもこそ本当の嘘つき」、コーランの33章58節「また、信徒の男女を、何も悪いことしていないのに悪く言うような者どもは、われとわが身に中傷と、明白な罪の重荷を背負い込んだも同然」、ハディース「嘘つきは重大な不正であり、重大な不正は地獄の業火に繋がる」を引用する。次いでイマームはザワーヒリの虚偽の宣伝と嘘を列挙する。

第一に、イマームによれば、ザワーヒリはイマームの「正しいガイダンス文書」がアメリカとユダヤ人の指令で書かれたと非難するが、いかなる証拠も出していない。イマームはザワーヒリに対し、「祭儀的な呪いの応酬(ムバーハラ)」を挑戦する。これは、争う2人がアッラーに対して、嘘をついている側に呪いを掛けるよう訴え合う行為だ。

また、ザワーヒリは、イマームの「正しいガイダンス文書」が支配政権━ムスリムであろうと背教者であろうと━に(対するジハードに)なんら言及していない、また、ジハードの準備についてもなんら言及していないと批判している。これに対してイマームは、ザワーヒリが嘘をついていると非難する。ここでイマームは、これら2つの問題に実際に言及しており(中でも初期の)著書「ジハード準備の主題」(Al-‘Umda fi I’dad al-‘udda)は全編ジハードの準備の問題に捧げた著作だと指摘する。イマームはこの点で技術的には正しいが、正直ではない。というのも、イマームの「正しいガイダンス文書」は、支配者が背教者であると明確には述べていない。また、ジハードを準備する問題も特段の扱いはしていない。「正しいガイダンス文書」は意図的にあいまいな言葉で書かれている。たまたま読んだ人には穏健に見える。ジハード主義者から批判されても、彼らの懸念に答える部分━それが、たとえ一般的な言葉で書かれているに過ぎないとしても━を指摘することができる。

イマームはまた、ザワーヒリの主張━イマームの「正しいガイダンス文書」はアメリカとユダヤ人の利益に奉仕する一方、アルカーイダはアメリカ人とユダヤ人に対する戦いの最前線にあるとの主張を取り上げる。イマームはこう言う。アメリカとユダヤ人をアフガニスタンとイラクに引き込みながら、そのアフガニスタンでアメリカ(の攻撃)から最初に逃亡したのはアルカーイダだった。イマームはまた、アルカーイダが時折、アメリカに停戦と交渉を申し出たと指摘する。イマームはこの態度を(アルカーイダの)初期のエピソードに結びつける。イマームによると、ザワーヒリは(1990年代はじめ、滞在先の)スーダン政府に対して、エジプトでの(反政府)攻撃実行のため戦士1万人が意のままになると嘘をつき、金銭を受け取った。また、これらジハード・メンバーのうち6人が処刑された時、ザワーヒリはスーダン政府高官の傍らで冗談を言っていたという。「高名のために、あるいは自分自身や自分の作品をプロモートするため金を支払う者たちがいる。だが、ザワーヒリはメディアにおける高名を得るため、信仰兄弟たちの流血と命で支払い、兄弟たちを投獄に追い込む。次いで、ザワーヒリは『もういないのか』」と言い、騙せる人々を見出し続ける・・・」※3

イマームはこう言う。ザワーヒリが嘘つきであることを証明するためにスペースを割いた。なぜなら、嘘つきの供述を受け入れることはできないからだ。万が一ザワーヒリが時に真実を語っているにしても、彼の話に耳を傾けることは禁じられる、と。

2章:アルカーイダはアメリカ人大量殺戮の認可を唯一の目的として、イスラム法学の逸脱した学派を創設した

イマームの主張だと、ザワーヒリは単にイスラム法学における孤立した、誤った立場をプロモートしているのではない。むしろ、明らかに過度な大量殺戮を認可するために、イスラム法学の堕落した、逸脱した学派を創設した。また、彼らのイスラム法学における立場の全てが、過度な大量殺戮の認可を目標としている。イマームはまた、アルカーイダが使う「犯罪的な」諸原則を以下のようにリストアップする。これら原則の目標は、アメリカ人大量殺戮を禁じるイスラム法の諸規定を回避することである。

━近い敵(背教の諸政権)と戦う前に遠い敵(アメリカ)と戦う

━国籍に基づくタクフィール(何者かを背教徒や異端者と断罪すること)と殺害。これは、国家の一員であることは異端の国家への忠誠と同国家の法の支持に等しいことを理由としている

━異端者に税金を支払う人々の殺害の認可。これは財政上の戦争状態に等しいことを理由にしている

━異端者の「人間の楯」の殺害の際限のない認可。この結果、異端者の地における市民の殺害をアルカーイダに許す

━ムスリムの「人間の楯」殺害の際限のない認可、この結果、異端者と交わるムスリムの殺害をアルカーイダに許す

━同種報復(アル=ムアーマラ・ビル=ミスリ)原則の際限のない適用、これによって無差別殺害の範囲を拡大する

━アメリカと戦うことは防衛的(ジハード)である。(その結果、通常その許可が必要とされる)父親などの許可がなくともアメリカで戦うため旅行できる

━ムスリムに与えられる「異端者の地」の入国ヴィザは「保護の保証(アマーン)」ではない、(その結果)彼には(異端者の)殺害が許される

━たとえ、このヴィザが「保護の保証」であっても、それを侵害することは許される

━ムスリムの地に入る旅行者の入国ヴィザは、殺害あるいは誘拐から保護される保証にはならない

イマームの主張によれば、アルカーイダはこれらの原則を採用した後、批判をかわすために以下の間違った主張を展開した。

━これらの問題について話すことが許される唯一の人々は、山岳地帯と辺境地帯に陣取るジハードの尊師たちである(他のウラマーではない)

━彼ら(アルカーイダ)を非難する者は誰であれ、ジハードを妨げ、ムジャーヒドゥンを攻撃し、ムスリム共同体に害を及ぼしている

━彼ら(アルカーイダ)を非難する者は誰であれ、十字軍(アメリカを指す)とシオニスト(イスラエルを指す)の利益に奉仕している

イマームは次いで上記の各原則に反駁する。

ムスリムの災難の原因はムスリム自身であり、アメリカではない

遠くの敵(アメリカの意)に対するジハードの教義の根拠として必要なのは、アメリカとユダヤ人がムスリムの諸問題の原因であるという信念だ。イマームによると、この主張をビンラーディンはムスリムを自分の味方につけ、アメリカに対する彼の個人的な執着をムスリム共同体全体の問題にすりかえるために使っている。しかし、本当のところは、ムスリムの災難の原因はムスリム自身なのである。イマームはこの主張をコーランの幾つかの節、例えば42章30節「お前たち災難に襲われても、それはみな自業自得というもの・・・」で補強する。イマームは次いで、アルカーイダ指導者の立場は以下のコーランの節に矛盾するとし、彼らは不信心者(この場合は背教徒に相当)だとほのめかす。アッラーはこう語った。(コーラン29章47節)「われらの神兆を頭から否定するのは、全然信仰心のない人々ばかり」※4 イマームはまた、前述のマクディシの弟子アフマド・ジャザーイリー(Ahmad Al-Jaza’iri)がビンラーディンとザワーヒリのシャリーア(イスラム法)侵犯に対し、既に1992年に2人を背教者と宣言していることを指摘した。※5

イマームは続いて、この原則を最も静かな調子で、こう敷衍する。アッラーは、ムスリムの罪に対する罰として、異端者がムスリムを打ち負かすことを許す、と。イマームはこの主張をハディースと歴史上の実例で補強する。例えば、北アフリカのムラービト朝のアミール(最高指導者)ユースフ・ビン・タシュフィン(Yusuf bin Tashfin)はアンダルシアのムスリムを助けてスペインの王たちを破った。その時、ムスリムはユースフに、軍隊をアンダルシアに残して自分たちを守るよう要請した。ユースフはこう答えた。「あなた方の意向を(ただアッラーに)向けなさい。アッラーはあなた方を敵から守るだろう」。イマームはこう続ける。「アッラー━賞賛されますように━は、ムスリムの災難は彼ら自身のせいであると言い、一方、ビンラーディンとザワーヒリはアメリカのせいだと言う。アッラーか、それともビンラーディンとザワーヒリか。いずれに従うのか、それはムスリムが考えることだ」

イスラエルに関しても同様である。イマームの主張によると、イスラエルが殺害したい者は誰であれ、その殺害を可能にさせているのはパレスチナ人の手先である。また、ユダヤ人)入植地を建設しているのはパレスチナ人の労働者である。イマームはムスリムの内部抗争の幾つかの例をリストアップしたうえ、こう指摘する。サウジアラビア駐留米軍は、その存在が(イスラム法上)合法か非合法かは別にして、駐留開始以来、アルカーイダと違い、1人のムスリムも殺してはいない。

イマームは、こう続ける。「アルカーイダがこの何年間かに、ケニヤ、アフガニスタン、イラク、サウジアラビア、アルジェリア、パキスタンなどで引き起こしたムスリムの死者と強奪は、イスラエルが過去60年間にパレスチナと隣接諸国で引き起こした殺害と強奪に比べはるかに大きい。ムスリムを守っているというアルカーイダの主張は全てほら話である・・・」

イマームによれば、ムスリムの状況の改善は、アッラーが述べているように内部から始まらねばならない。アッラーは(コーラン13章11節で)こう述べた。「アッラーは人間の方で自分の状態を変えないかぎり、決してある民族の有様を変えたりなさらない」。※6

ジハード以外の選択肢

イマームはこう書く。「侵略する敵に対するジハードが(ムスリムの)義務であるのは、それを行う能力が(ムスリムに)ある時である。しかし、自らの郷土にある敵(アメリカの意)に大洋を越えて向かい、その建物のひとつを破壊する。その結果(報復を受け、アフガニスタンの)タリバンの国家を破壊してしまう。でありながら、自分たちはムジャーヒド(イスラム聖戦士)だと主張するーー。こうしたことを行うのは愚か者にすぎない」。この発言には、対米ジハードを基本的に(ムスリムの)義務とは見なさない2つの要因が含まれている。第一は、「能力」(イスティターア)という条件である。イマームはこれに関し「正しいガイダンス文書」で既に長々と書いている。ジハードが(ムスリムの)義務ではあっても、もしムスリムがそれを成功裏に遂行する能力に欠けているならば、その義務は停止される。しかし、ここで言うもう1つの要因は、アメリカに対するジハードが攻勢的ジハードと見なされるのか、それとも防衛的ジハードと見なされるか、だ。イマームは対米攻撃を攻勢的ジハードと見なす。※7 一方、アルカーイダはアメリカに対する攻撃を防衛的ジハードと見なす。

イマームはまた、ザワーヒリの発言━「両眼のある、公平なオブザーバーなら誰であれ、この堕落した現実が柔軟性や懐柔によっては変えられないこと、つまり変えることができるのは力だけであることが、これまでに明白になったし、今なお明白である」━を攻撃する。※8 イマームによると、この声明はザワーヒリを不信仰(あるいは背教)に導くものである。なぜなら、この声明は、コーランとスンナ(預言者ムハンマドの慣習)が明確に述べている他の選択肢を否定するからだ。例えば、コーランの8章61節「もし彼らの方で和平に傾くようなら、お前もその方向に傾くがよい。・・・」。彼はまた、イスラム初期の、祝福されるムスリムの司令官カーリド・ビン・ワリード(Khalid bin Al-Walid)の例を挙げる。彼は(629年イスラム軍が東ローマ帝国軍と戦った)ムウタの闘いで兵を引き、預言者はそれを賞賛した。さらに、イマームによれば、ザワーヒリはこの問題全体について嘘をついているに過ぎない。なぜなら、ビンラーディンはアメリカに休戦を申し出(ハヤート紙、2006年1月20日付)また、ザワーヒリはアメリカとの交渉を申し出た(ハヤート紙、2006年12月21日付)からだ。

ムッラー・ウマル(Mullah Omar)のステータス

イマームはハヤート紙のインタビューで、ビンラーディンの大きな罪のひとつは、臣従を誓った(アフガニスタン・タリバンの最高指導者)ムッラー・ウマルを騙したことだと主張した。ビンラーディンは、ウマルに隠して9・11テロを行ったからだ。イマームは、この趣旨のビンラーディン攻撃を「潔白立証の正体を暴く」でも続けた。イマームが非難するところだと、ビンラーディンはこの裏切りを正当化するためだけの目的で、ウマルのアミール(最高指導者)としての地位に関し、宗教上禁止されている新奇(なイスラム法裁定)を創出した。

ビンラーディンは2001年6月、アメリカに対する大規模な攻撃を計画していることを知らせた。彼の信奉者、中でも彼のシャリーア評議会メンバーの一部は、ウマルがアメリカ攻撃を禁止しているとして反対した。イマームの主張によると、これに対してビンラーディンは新教義━ムッラー・ウマルは(アフガニスタン)国内の問題に関してのみのアミールであり、アフガニスタン国境外の問題ではウマルに従う必要はない、とする━新教義を発明した。

イマームの主張によれば、アミールへの忠誠に関するシャリーアの定義は、こうした区別を認めていない。この新教義は、サタンがビンラーディンの頭に植え付けたアイデアである。この点を証明するため、イマームはこう指摘する。全てのイスラム法学者は、ムスリムにはジハードの問題においてアミールに従う義務がある点で同意している。また、ジハードは「イスラムの領域(家)」の外で行われ、アミールの権威が外交政策に及ぶことは明白だ。加えてイマームによれば、9・11攻撃において(アミールの権威を)区別したことは全くの誤りだ。なぜなら、9・11の計画はアフガニスタンで行われ、攻撃者(実行犯)はアフガニスタンから出発した。さらに、ビンラーディンは攻撃後アフガニスタンに留まったからだ。ビンラーディンはこうしてウマルへの忠誠の誓いを破った。預言者ムハンマドはこうした者たちについて次のように語っている。「(支配者への)服従を放棄する者は、審判の日にアッラーに会った際、自分を弁護する言葉は何も見出せないだろう」。

「近くの敵」より「遠くの敵」を(へのジハードを)優先する

宗教における新奇な考えとイマームが非難するアルカーイダのもう1つの原則は、「近くの敵(背教の政権)」よりも「遠くの敵(アメリカ)」を優先するという原則である。このアルカーイダの原則をイマームが問題視しているのは、第一にアメリカがムスリムの全ての不幸の原因であるという主張に基づいていること。加えて、コーランとスンナ(預言者ムハンマドの慣習)に反していることだ。例えば、コーラン9章124節は、こう言う。「これ、信者の者よ、汝らの身近にいる無信仰者たちに戦いを挑みかけよ・・・」と。この節の意味について、傑出した釈義学者やイブン・タイミーヤ(Ibn Taymiyya)はファトワ(イスラム法裁定)で、ジハードの義務は最も身近な敵から始まると解釈している。イマームはこう述べたうえで、ザワーヒリがコーランとスンナを放棄し、個人的見解で置き換えたのは、すべて(対米テロを優先する)ビンラーディンに取り入るためだったと非難する。イマームはまたイブン・タイミーヤの発言を、こう引用する。「ある人物(ムスリム)が、全会一致の見解で禁じられた物事を許可したなら、あるいは全会一致の見解によって許可されたことを禁じたなら、あるいは全会一致で同意された(イスラムの)法を変えたなら、この人物が異端の背教者であることは、法学者が合意する見解である」※9

イマームの主張によると、ザワーヒリが、遠い敵との戦いの原則を創り上げたのは、1998年ビンラーディンに合流した時だった。このことで、エジプト・ジハード団の仲間は、ビンラーディンを批判した。というのも、米国がこれを契機に、ジハード団メンバーの拉致を始めたからだ。イマームによると、こうした犠牲を出したにもかかわらず、ビンラーディンは9・11攻撃を前もってザワーヒリに知らせなかったばかりか、同攻撃を事後正当化する任務を彼に課した。※10

イマームは次いで、こう皮肉る。「遠い敵」に対する9・11の攻撃はアメリカをアフガニスタンに引っ張り込んだ。アメリカはその地で、戦う義務のあることが明白な「近い敵」になった。だが、まさにこの時、ビンラーディンとザワーヒリはアフガン人に戦争の過酷な局面を担わせ、自らは戦闘を逃れた。アルカーイダ指導者は、自分たちの役割は(ムスリムを)戦いに赴くよう扇動することだと主張する。これに対しイマームは、なぜアルカーイダ指導者は戦いに赴くよう自分自身を扇動しないのかと訊ねる。アッラーはムハンマドに対し、模範を示すことによって信徒を戦いに奮起させるよう命令した。(コーラン第4章84節)。この結果、自分の役割は(ムスリムを)戦いに扇動することだと主張する人に会う時、ムスリムは彼に言うべきである。あなた自身をまず扇動しなさい。そして、戦いに行きなさい、と。

国籍に基づくタクフィールと殺害

ビンラーディンは、アメリカ人を軍人と市民を区別せず殺害せよと宣言した。このビンラーディンの立場には、他の地域と同様米国にムスリム市民がいるという難題がある。ザワーヒリは「潔白立証」で、こうビンラーディンの立場を正当化した、異端の国家の市民であることは必然的に、この国家への忠誠と、その異端の法への服従を意味する、と。これはムスリム市民自身を異端者や、少なくとも異端者に近いものとする。その結果、アメリカ人の大量殺戮は許されることになる。(ムスリムは誰であれ)そうした攻撃がムスリムを殺害するかもしれないと悩む必要はない。なぜなら、(異端の国家の市民である)ムスリムは全て背教者だからだ。

イマームの指摘だと、こうしたザワーヒリの立場は、世界の数億のムスリムをタクフィールすることに等しい。というのも、これら全てのムスリムが、彼らが住む国々の異端の法に満足しているとは断定できないからだ。とりわけ、今日彼らが移住できる「イスラムの領域」(Abode of Islam )は存在しない。(「イスラムの領域」は、ムスリムとイスラムによって支配される地域と定義される。イマームにとっては、通常ムスリム国家と言われるところはどこであれ、この定義に合致しない)。

さらにイマームによると、仮にアメリカ人全てが異端者であるというザワーヒリの主張を認めるとしても、アメリカ人に対する無差別殺戮は許されない。なぜなら、異端者であっても、女性、子供、老人、貧者等々は、殺害が許されない範疇に所属するからだ。イマームの指摘だと、異端者の人口の大半を構成しているのは、これらの殺害が許されない範疇(の人々)である。

これらの(殺害が許されない)範疇の人々の共通した理由は、戦闘に参加できないことだ。※11 この問題をザワーヒリは、こう回避しようとする。アメリカ人は税金を支払っており、これはムスリムと戦っている軍隊に資金供給していることを意味する。その結果、(米国市民は)財政的戦闘員と見なされ(殺害が許され)る。イマームは(このザワーヒリの主張に)反駁し、これはインドとロシアの全てのムスリムを背教者とするものだと言う。なぜなら、両国はカシミールとチェチェンで(ムスリムと)戦っているからだ。加えて、イマームによると、ザワーヒリの立場はカリフ・ウマル(’Umar)の実践に相反する。ウマルは(イスラム軍が)ペルシャとビザンチンに侵攻した際、非戦闘員の農民は助命するよう兵士に命じた。これは、税金の支払いの有無に関わりなく、ということである。

アルカーイダが無実の市民殺害を正当化する際に使う別な主張がある。「人間の楯」の主張である。(この言葉の主要な意味は、戦闘の際に「人間の楯」として使われる非戦闘員のことである。しかし、同様に、他者(異端者)の間にいる、合法的な標的である非戦闘員のことも意味しうる)。※12 イマームは「正しいガイダンス文書」で展開している自分の説明に読者の注意を引く。イマームの説明だと、コーランとハディースには「人間の楯」殺害許可の根拠となる明白なテキストはない。その結果、学者たちは、必要な場合に限って「人間の楯」殺害を許可した。イマームの見解では、アメリカに対する攻撃は、ムスリムが自発的に開始する攻勢ジハードであり、「人間の楯」殺害の必要性に訴えることはできない。この結果(アメリカに対する攻撃においては)「人間の楯」の殺害は許されない。※13

イマームはさらに(ザワーヒリが)アメリカ人の無差別殺害を正当化するために使っている別の主張、同種報復(アル・ムアーマラ・ビル・ミスリ)を取り上げる。ザワーヒリはこの原則の根拠をコーランの2つの節(第2章194節と第16章126節)と、現代のアルカーイダの尊師ナーシル・ビンハマド・ファハド(Nasir bin Hamad Al-Hamad)のファトワに置く。このファトワが断言するところだと、米国が最近の数十年に約1000万人のムスリムを殺害した。この結果、同種報復によって、「仮に(アメリカに)爆弾を落とし、1000万人を殺害するとしても、また、彼ら(アメリカ人)がムスリムの地を破壊したのと同じ程度に彼らの地を破壊するとしても、他に(その合法性を)証明する必要なく許可される。この数字以上に殺害を望む時(にのみ)他の証明が必要となる」

イマームはこの主張に、アルカーイダはシャリーアを片方の目でしか見ていないと反駁する。イマームによれば、「同種報復」の原則を正確に述べるなら、(報復攻撃の対象である)「同種」がシャリーア上殺害の許されない(範疇に)属さないならば、許される。※14 また、シャリーアは無差別殺害を禁じているため、アルカーイダは「同種報復」の原則をアメリカ攻撃正当化のために使うことはできない。※15

911について:入国ヴィザは、保護の保証であり、受け入れ国に損害を与えないことを外国人に義務づけている

イマームによると、上記の問題は、9・11攻撃以前にアルカーイダの(最高意思決定機関)諮問評議会で話し合われた。ビンラーディンを除けば、9・11攻撃計画の詳細を知っていたのは(指導部内の)3人に過ぎなかった。(9.・11テロの首謀者)カーリド・シェイク・ムハンマド(Khalid Sheikh Muhammad)、(アルカーイダの軍事責任者)アブーハフス・マスリ(Abu Hafs Al-Masri)(別名ムハンマド・アティフMuhammad ‘Atif)、それに、攻撃の24時間前に知らされた人物である。この人物についてイマームは名前を挙げていない。(アルカーイダ諮問評議会の)他の人々は、アメリカに対する大規模な攻撃が計画されていることは知っていた。そこで、彼らは、こうした攻撃の合法性について協議した。しかし、彼らは攻撃者(9・11実行犯)が入国ヴィザで米国に入ることを知らなかったため、この問題は提起されなかった。9・11攻撃後、攻撃者が入国ヴィザを使ったことが判明した。この結果、これがシャリーアの侵害であると言う者たちと9・11攻撃を擁護する者たちとの間で論争が起きた。批判者はこう主張した。ヴィザは保護の保証(アマーン)であり、受益者には受け入れ国に損害を与えない義務があり、その結果、(9・11攻撃は)同義務の侵害であり、背信行為である、と。この主張は、イマームの見解でもある。※16

ザワーヒリはこの見解に「潔白立証」で反論したが、その際、西側世界のヴィザの定義が保護に関して何事も言及していないことを挙げた。※17 イマームはこれに対し、ザワーヒリは外国の法とエンサイクロペディア・ブリタニカで発見したヴィザの定義に直接依存していると非難し、この方法論をシャリーアの無知と呼んだ。イマームによれば、明白なイスラム法上の前例がない問題を考える場合、最初に、この問題のどの様相に意味があるのか決定する。次いで、これらの様相を、前例のある他の問題と比較しなければならない。適用可能な法があるかどうか見るためだ。イマームはヴィザ問題に関し、古典的学者たち(の法裁定)━ある国に入る許可は(それが)保護の保証(アマーン)に明白に言及していない時でも、同保証に等しい━を例証に挙げる。この結果、ヴィザに関する決定的要因は、それがひとつの国に入る許可であるかどうかであって、それが明白な保護の声明を含んでいるかどうかではない。また、ヴィザはひとつの国に入る許可と定義されるため、古典的なアマーンに似ている。その結果、ヴィザは保護の保証であり、(受益者は)それに対応する、受け入れ国に害を与えないというムスリムの義務を伴う。イマームは、ザワーヒリの方法論を次のように要約する。「ザワーヒリはムスリムの法学者を放棄し、エンサイクロ・ブリタニカに基づくファトワを発出する。これは預言者がこう言及した者たちの(行動の)ようである。『人々は無知な人々を指導者とした。彼らは質問されると、知識のない法判定を発出する。彼らは道に迷い、他の者たちを道に迷わせる』」

イマームは次いで、ザワーヒリのバックアップ主張━つまり、たとえヴィザが保護の保証であろうとも、その条件の侵害は許される━を取り上げる。イマームによれば、このザワーヒリはこの主張を、アルカーイダのイスラム法学者ナーシル・ファハド師(Sheik Nasir Al-Fahd)から借りてきた。しかし、ファハド師はザワーヒリと異なり、入国ヴィザは保護の保証であるとの考えを保持する。そのうえで、ファハド師によると、保護の保証の侵害は2つの理由でかのうになる。ひとつは敵をだますため、もうひとつは、敵アメリカがムスリムに対して侵略したためである。

ファハド師は上記主張の根拠として、預言者ムハンマドの存命中にメディナに住んでいたユダヤ人カアブ・ビン・アシュラフ(Ka’b bin Al-Asharaf)の話を挙げる。ファハド師の主張によると、預言者の教友たちがカアブに保護の保証を与えた後、殺害した。これはアルカーイダが9.11に行ったことに類似している。この結果、9.11は同様に許可された。

イマームはこれに対し3つの反論を挙げる。第一に、イマームによれば、誰もカアブに保護の保証や、それに似通ったものを与えはしなかった。(実のところ)カアブは、ムハンマドがメディナのユダヤ人との間に結んだ協定によって保護されていた。しかし、カアブはこの協定の条件を破り、預言者を侮辱した。カアブを殺害したムハンマドの教友は策略を使った。ムハンマドは前もってこれを知り、同意を与えた。だが、このことは保護の保証の問題とはなんら関係がない。

第二に、預言者ムハンマドは『戦争は人を騙すこと』と語った。古典的な学者たちによると、この原則、すなわち異端者を騙すことは、合意や保護の保証(アマーン)がない時にのみ許される。第三に、ファハド師は、異端者がムスリムの地において保護の保証を持つ法と、ムスリムが異端の地において保護の保証を持つ法を比較しようとした。だが、これらのケースは比較することができない。

ファハド師の第二の主張はこうだ。アメリカとムスリムの間にはいかなる協定もない。というのも、シャリーアは国際法の下で調印された協定を認めていない。たとえ、有効な協定があったとしても、ムスリムに対するアメリカの行動によって、その協定は確実に破棄されている。※18 イマームは幾つかの方法で、この主張に反駁する。第一に、イマームによると、ムスリムに対するアメリカの侵略がいかに悪かろうと、預言者その人と戦った者たちのレベルには達していない。次いで、イマームはひとつのハディースを引用する。(西暦624年バドルの戦いで)ムハンマドの側に立って戦わないことをクライシュ族に約束した2人のムスリムに関するハディースだ。2人がこの約束をムハンマドに知らせると、ムハンマドは約束を守り、戦いは見過ごさねばならないと語ったという。従って、クライシュ族━預言者その人と戦ったクライシュ族━への約束を守る義務があるならば(ムスリムには)ヴィザに伴う、アメリカへの義務を守る義務のあることは確実だ。イマームは次いで(イスラムの)4法学派のひとつの名祖シャーフィー(Al-Shafi’i)を引用する。シャーフィもまた、異端者の攻撃があっても、ムスリムが保護の保証の条件を破ることは許されないと書いている。

アメリカ人は単一の法的実体ではない

イマームは次いでファハド師のファトワのもうひとつの主張、つまりアメリカ人民全体をカアブ・ビン・アシュラフになぞらえた主張を取り上げる。ファハド師は、アメリカ人全員が単一の法的実体であると主張した。なぜなら、米国の制度はなんであれ、アメリカ人民の(支援)がなければ意味を持たないからだ。

イマームによると、戦闘員と非戦闘員を区別しないこの認識は、アルカーイダの、禁じられた宗教上の新奇(な教義)のもうひとつの例である。イマームによれば、預言者はクライシュ族にこうは言及しなかった。加えて、ペルシャとビザンツの場合、支配者たちは人民の支援なしには取るに足らない存在と言うことができた。が、預言者の教友たちは、両人民を単一の法的実体などとは見なさず、殺害が許されない範疇の人々の殺害は避けた。

イマームはまた、現代の出来事を使ってファハドの見解に反論する。イマームによれば、いくつかの国家はスペインのように、イラク戦争を支援する国家首脳を更迭した。アメリカと同盟国の他の国々では反戦抗議活動が存在する。カンタベリー大主教は最近ムスリムに好意的な立場を取った。この結果、事実に基づくなら、全てのアメリカ人や全てのヨーロッパ人を敵と見なすのは間違っている。

イマームはこう付け加える。ファハド師は無知であり、彼にファトワを発出させてはならないし、彼が与えたダメージの責任を取らせるべきである、と。

ムスリム諸国における旅行者の攻撃

ザワーヒリはナーシル・ファハドの法裁定━全てのアメリカ国民は単一の法的実体であり、この結果ムスリム諸国における(アメリカ人)旅行者の攻撃も許されるという━法裁定に依存している。イマームは先にこの主張を「正しいガイダンス文書」で取り上げており、「潔白立証の正体を暴く」では、「正しいガイダンス文書」で述べた旅行者攻撃禁止の理由を繰り返している。すなわち、保護の保証の下でムスリム国に入った非ムスリムを攻撃することは許されない。この考えは、これら(ムスリム)国からヴィザを受け取った者たちにも適用される。

事実、有効な保護の保証を持っていると信じている非ムスリムに害を与えることは許されない。彼に与えられた保証が客観的に有効であるかどうかにかかわらず、である。(これは論争の主要な部分である。なぜならイマームとアルカーイダ双方とも、ムスリム諸国家の政府が背教者であると見なしているからだ)。もし保証が有効でないならば(ムスリムは)非ムスリムに害を及ぼさず、国外にエスコートしなければならない。イマームは、ザワーヒリ自身、ヨーロッパ諸国とアメリカに旅行し、害を加えられることなく出入国したにもかかわらず、旅行者の誘拐と殺害を促していると批判する。

市民殺害はアルカーイダの臆病の証明である

イマームはこの討議を要約し、こう結論付ける。アルカーイダのさまざまな主張の全て━国籍あるいは税金の支払いに基づく殺害、人間の楯、同種報復、アメリカ人全てを単一の法的実体と見なすこと━はすべて、アメリカ人大量殺害正当化の口実に過ぎない。イマームはこう付け加える。アルカーイダの市民殺害(ムスリムの市民も含め)は、彼らが軍事目標を攻撃できないことを暗に認めたことである。イマームは加えて、これは(アルカーイダの)臆病の証明であると言う。

こうした事柄について法裁定を下せるのは「ジハードの(イスラム法)学者」だけという主張

イマームは次いで、「ジハードの学者」━つまり、自身がムジャーヒドゥンである学者━だけがジハードに関する事柄に法裁定を下せるという(アルカーイダの)主張を取り上げる。(イマームは、この教義を打ち出した人物としてザワーヒリには言及していない。実際のところ、この主張は「潔白立証」には、少なくとも明確な形態では出ているようには見えない)。イマームによれば、これは宗教的に禁じられた(アルカーイダの)もうひとつの新奇(な教義)である。イスラム法学の古典的な著書の中には、これが(ジハードに関する事柄に法裁定を下せる)条件であると特定しているものはない。加えて、イマームによると、ジハードを戦えない人々━盲人、障害者、病人、女性━も(イスラム)法上の物事について法裁定を下すことができる。また、イマームは初期のイスラム学者ムハンマド・シャイバーニー(Muhammad Al-Shaybani)に言及する。イマームによると、シャイバーニーはイラクに住んでいた。イラクは当時、辺境地域(ジハードの地域)ではなかった。しかし、彼がジハードの法について書いた時、同時代人で、当時辺境(ベイルート)に住んでいたアウザアル(Al-Awza’l)の賞賛を受けた。※19

この章をイマームは、アルカーイダに対する決め付け━ビンラーディン、ザワーヒリ、2人の信奉者は宗教に無知であり、彼らがイスラム法学に関する堕落した立場を発明した目的は、自分たちの罪を正当化するためだった━を繰り返すことで締めくくっている。イマームはこう付け加える。人は通常、こうした無知をまともに相手にして、それを持ち上げることはしない。しかし、教育のない者が(ビンラーディンらの話を)真に受けないように反駁したのだ、と。※20

イマームは「潔白立証の正体を暴く」で、この後ザワーヒリがイスラム法学を利用している問題に戻る。イマームによれば、問題の根底にあるのは、ザワーヒリが(エジプトのイスラム過激主義の創始者)サイイド・クトゥブ(Sayyid Qutb)の思考から受けた強い、過度な影響である。「ザワーヒリがサイイド・クトゥブ━アッラーが彼に慈悲を示しますように━の著作に影響を受けた事実に読者の注意を引きたい。2人(ザワーヒリとクトゥブ)の著作の中で間違っていないのは教育一般の分野であり、イスラム法学上の法━とりわけ血を流し、物品を奪う許可━に関しては、2人の著作に頼ってはならない。ザワーヒリとクトゥブはイスラム法学には極めて弱い。もっとも、正直さに関する2人の違いは極めて大きいが・・・」

「仮にサイイド・クトゥブが今なお生きているならば、彼のイスラム法学の知識の溝を既に埋めていたと思う。彼は人生のほとんどを文学の研究に費やした。(彼のイスラム法学の知識のなさは、勉強の時間がなかったことによる)。しかし、ザワーヒリについて言えば、その知的進歩は30年以上前クトゥブの著作の段階で止まった。彼はこれら(クトゥブの著作)を超えてイスラム法学を成熟させる段階には進まなかった。私はザワーヒリにシャリーアの勉強を繰り返し勧めたが、無駄だった。彼にはシャリーアの科学を勉強する忍耐がなかった・・・」※21

第三章:ザワーヒリの欺瞞戦略

この章でイマームは、ザワーヒリが「潔白立証」を通じ、一般的問題とイスラム法問題の双方で欺瞞の戦略を使っていると非難する。この章で扱っている問題の多くは「文書」及びイマームのハヤート紙のインタビューで既に取り扱った比較的マイナーな問題であり、省いてよいかもしれない。以下は主要ポイントである。

第一に、イマームによると、ザワーヒリはイスラムの法的諸問題に関しさまざまな意見を提示し、いずれの意見に従うことも許されるという印象を読者に与える。例えば、9・11の攻撃において、攻撃者がヴィザを得て米国に入ったにもかかわらず、ザワーヒリは同攻撃を正当化するため、異端者との協定の侵害を許す一部イスラム法学者(の法裁定)を引用する。※22 イマームはこう書く。「意見の相違がある時、アッラー━賞賛されますように━は(恣意的に)ひとつを選ばず、コーランとスンナに頼るよう命令した。コーランとスンナに一致する意見は真実の意見であり、矛盾する意見は間違った意見である。これはタルジフと呼ばれるものである。アッラーはこう言った。コーラン4章59節「何かのことで争いが生じた場合は直ちにアッラーとこの使徒のところへ持ち込むがよい、もし汝らが本当にアッラーと最後の日を信じておるのであるならば」。イマームはイブン・タイミーヤなどの見解「ウラマーは、法的意見をタルジフなしで採用することは全会一致で禁じており、そうすることは大きな罪である」を引用する。

イマームはまたザワーヒリの主張━イマームの「正しいガイダンス文書」はムジャーヒドゥン批判を行っているだけで、「真の犯罪者であるアメリカ人と支援者を故意に無視している」※23━を取り上げる。イマームによると、「正しいガイダンス文書」は実際のところ、この問題に取り扱っている。しかし、一層興味があるのは、この機会をとらえてイマームが「異端者の犯罪は、ムスリム(が犯す)悪事を黙って見過ごすことを正当化しない」との原則を解説していることだ。イマームはこの原則の根拠をコーラン2章217節の啓示の状況に置く。伝承によると、ムハンマドは、彼と彼の信奉者がメディナに移住した後、クライシュ族について情報を得るため、ムスリムの一団をメッカ地域に派遣した。彼らは、戦闘が禁止されている「神聖月」の間にクライシュ族族の隊商に走り込み、その1人を殺害した。その後ムハンマドに啓示されたのが2章217節だ。同節は戦闘が禁止されている(神聖)月の戦いを大きな罪と呼ぶと同時に、異端者の罪はさらに大きいとする。イマームによれば、同節は異端者の罪の方が一層悪いと言うものの、同節はムスリムの罪を沈黙して見過ごすことはしない。伝承によると、ムハンマドは血の賠償金を支払い、この行為が実際に誤った殺害だったことを示した。さらにイマームによると、この原則は、ザワーヒリの試み━アルカーイダはアメリカ人と戦っており、アメリカ人の罪は一層大きいと述べることによって批判をかわそうとする試み━に対する回答を提供する。イマームはこう付け加える。「以上のことから、なぜザワーヒリが『潔白立証』で、アメリカとイスラエルの犯罪を頻繁に訊ね、また、パレスチナの大義に対する自分の大きな関心を披瀝したか、あなた方は学んだ。これはザワーヒリが(アルカーイダという)犯罪的な信仰学派の一種の正当化を図ったものだ。アメリカとイスラエルによって犯罪が行われている限り、誰であれアルカーイダを非難することをザワーヒリは望まない・・・こうすることによって、彼は人々を騙しているのだ・・・」※24

イマームは次いで、ザワーヒリを(エジプト第2代大統領)ガマール・アブドッナーシル(Abd Al--Nasser)に比べることで、その傷に侮辱を加える。(サラフィ・ジハード主義者は汎アラブ主義を異端とし、アブドッナーシルを背教者と見なす)。アブドッナーシルは1967年(第3次)戦争の敗北後、「戦闘の雄叫びを超える、いかなる声を上げてはならない」とのスローガンで反対者を押さえつけようとした。アルカーイダは今、同じ言い訳を使っている。しかし、この前提すら有効ではない。アルカーイダはムスリムを守ってなどいない。それどころか、自らの目的のために米国をイラクに引き込み、次いで、アメリカ人が殺害した以上にイラク人を殺害した。

イマームは次いでイラクにおけるアルカーイダの行動を詳細に取り上げる。「ビンラーディンとザワーヒリ、加えて2人の信奉者たちこそ、アフガニスタンとイラクで流された、また今後流される血の全てに責任がある・・・モスク、市場、葬列におけるイラク国民の殺害、また、ユダヤ人によるパレスチナ人家屋の爆破に似た、彼らのイラク人家屋の爆破━これはアッラーのためのジハードか、はたまたアメリカの計画をくじくことか・・・アブームスアブ・ザルカウィによるシーア派の大量殺戮を通じて、イラクで宗派内戦の導火線に火をつけたのはアルカーイダではないか。そのツケを支払わされたのはスンニー派だった。同派の人々は殺害され、国外亡命を強いられ、家から追い出された・・・

「預言者はわれわれに、『勝利者の党派』(アル=ターイファ・アル=マンスーラ)がイスラムとムスリムを擁護すると語った。われわれの時代に存在するのは、ムスリムに災難をもたらし(ムスリム)諸国と社会を破壊する「狂気の党派」(アル=ターイファ・アル=マジュヌーナ)である。タリバン(政権下)のアフガニスタンに真に存在したイスラム国家を喪失させることになった(アルカーイダの)メンタリティー。このメンタリティーが、イラクにイスラム国家をインターネットの上ではなく、実際に樹立すると期待できるのか。イスラムの人民は、ビンラーディンとザワーヒリが、大量殺戮という彼らの気晴らしと娯楽を実験するモルモットになってしまったのか。

別の興味ある問題がここで、ごく簡単に言及される。イマームはこう修辞的な質問をする。イラクはアメリカの侵略以前に「イスラムの家」だったのかどうか、と。この質問には、いかなるジハード主義者もそうだとは答えない。これが意味するところははっきりしている。アルカーイダにとって関心があるのは、ただアメリカと戦うことであり、イスラムの支配を、それが欠けているところはどこであれ樹立することには関心がない、ということだ。

アルカーイダはパレスチナ問題を利用している

イマームは次いで、アルカーイダが自らの目的のためにパレスチナ問題を利用していると非難する。イマームによれば、アラブとムスリムの間で最も素早く人気を得る方法が、パレスチナ問題に焦点を当てることである。また、ザワーヒリ自身、この戦略を著作「預言者の旗の下の騎士たち」の中で概説している。しかし、イマームによれば、アルカーイダはシナイ半島のベドウィンにジハードを行うよう言葉で訴えた以外は、パレスチナ人のために何もしていない。「ビンラーディンは人気を得るために、しばしばパレスチナの子供たちと彼らの安全について語る。しかし、アフガニスタンの子供たちはどうか、ビンラーディンは同国の子供たちに、アメリカ人、破壊、孤児化、難民化をもたらしたではないか。これらアフガンの子供たちはムスリムではないのか」。イマームによると、ユダヤ人と戦うことはビンラーディンの優先課題にはない。というのも、ビンラーディンはアメリカ(との戦い)に焦点を当て、パレスチナについて語るのは、プロパガンダ目的に過ぎないからだ。

またイマームによると、アルカーイダがパレスチナのいかなる勢力とも協力関係を樹立できていないのは、後者にとって、アルカーイダとのパートナーシップから得るものが何もないからだ。ザワーヒリの主張と異なり、アルカーイダが(パレスチナの勢力とのパートナーシップを)留保しているからではない。例えばイマームは、こう書く。「ザワーヒリは(パレスチナのイスラム過激派)ハマースが世俗憲法に基づく選挙に参加したと批判した。しかし、なぜハマースだけ(を批判するの)か。ザワーヒリはなぜ、彼の聖なる尊師ビンラーディンを批判しないのか。ビンラーディンはベナジル・ブット(Benazir Bhutto)に反対し、パキスタンの議会選挙で巨額を費やして(パキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派総裁)ナワズ・シャリフ(Nawaz Sharif)を支援した。これら資金は、サウジ人が彼に与えたジハード資金だった。私は1992年にこれを知った。その時私は、ナワズ・シャリフにその資金を直接支払った人物、アブーハフス・マスリ(Abu Hafs Al-Masri)にこう言った。「アブーハフスよ。アッラーにかけて、ビンラーディンはあなたを地獄にまっすぐに導いている」※25

イマームは言う:イスラエルとの和平条約は許される

イマームは本題から逸れて、パレスチナとイスラエルに関する自身の立場を説明している。その説明そのものが注目に値する。第一に、イマームによれば、パレスチナ問題はアラブとムスリムが直面する中心の問題ではない。最も重要な問題はイスラム・カリフ制の樹立である。次いで彼は、イスラエルを承認し、平和条約を結ぶことは禁じられているとするビンラーディンとザワーヒリの立場を取り上げる。両者は、異端者との平和条約は認められるとするものの、イスラエルは「固定した異端国家」ではなく、ムスリムの地を占領する敵と主張する。※26

一方、イマームによれば、承認とは西側が発明した言葉だという。従って、シャリーアには承認に反対するいかなる根拠も見出せない。また、「固定した異端国家」と「ムスリムの地の占領者」との間に違いがあるかどうかも、ムスリムの法において議論のあるところだ。和平協定を認める(コーランやハディースの)テキストは限定されていない。このため、一般的原則として、異端者と和平協定に調印することは、相手が誰であれ、それがムスリムの利益になるならば常に許される。このポイントを強調するために、イマームは、サラーハッディン・アイユービ(Salah Al-Din Al-Ayyubi)が十字軍といくつもの条約を結んだことを指摘する。

イマームによれば。イスラエルに対するジハードは依然(ムスリムの)義務である。成功するチャンスがないものの、敵に損害を与え、さらなる状況悪化を防ぐからだ。※27

アルカーイダは背教徒の諸政権と取引した

イマームは次いでザワーヒリの非難━「正しいガイダンス文書」は、ムスリム諸国支配者の問題を避けているとの非難に答える。これらムスリム諸国支配者をジハード主義者は戦わねばならない背教徒と見なしている。実は、ザワーヒリの非難は正しい。というのも、イマームが今なお支配者を背教徒と見なしていることは「正しいガイダンス文書」の内容から演繹できる。しかし、「文書」には、この点に関する直接の言及はない。この点は、イマームの従来の著作と著しく異なる。※28 イマームには、この非難を直接かわすために言えることはほとんどない。その代わりイマームは攻勢に出て、ザワーヒリとビンラーディンこそ、この問題で矛盾していると言う。

第一に、イマームによると、現在彼の獄中仲間であるザワーヒリの弟ムハンマドは、エジプトの治安機関に対し、支配者(つまりムバラクのこと)はムスリム(であり、背教徒ではない)と見なしていると述べた。その後、ムハンマドは(獄中で)特権を享受し始めたという。※29 加えて、イマームによると、ムハンマドは2007年6月エジプト当局と協定を結ぼうと秘密裏に試みた。第二に、イマームによれば、サウジの支配者が背教徒であるとビンラーディンが宣言し始めたのは、1994年(サウジ政府から)国籍とパスポートを剥奪されて以来である。これが意味するのは、ビンラーディンが個人的理由のために活動しているのであり、彼が言う理由━例えば、アラビア半島に非ムスリムの軍隊を受け入れているといった理由━ではない。またイマームによると、1996年スーダン人がビンラーディンの追放を決定した時、彼はサウジ支配者たちに陳謝の手紙を書き、帰国したい旨要請したが、拒否されたという。イマームはまた、ビンラーディンとパキスタンの諜報機関との協力にも言及する。ビンラーディンがパキスタンの選挙に関わったとの非難も繰り返す。※30

4章:ザワーヒリの経歴とビンラーディンとの関係について

イマームはこう書く。「ザワーヒリは著作『預言者の旗の下の騎士たち』で、自らがムスリムの努力を統一するためにアルカーイダに接近したと説明する。しかし、これは正しくない。ビンラーディンはザワーヒリの周囲に1987年から2001年にかけ14年間もいた。しかし、この間ザワーヒリはビンラーディンに合流しなかった。逆に、ビンラーディンを厳しく批判し、ビンラーディンはサウジ諜報機関の手先とまで非難した。こう批判したのは(ビンラーディン)が1995年サウジからの献金を手元にしまったためだ。ザワーヒリは(エジプト・ジハード団の)機関紙カリマ・ハック(Kalimat Haqq)に「若者は自分たちの生命を犠牲にし、金持ちは自分たちの金に執着する」とのタイトルの記事を書いた。

「ジハード団は(全体が)アルカーイダに合流したわけではない。参加したのはザワーヒリら9人だけだった。(合流した)理由はジハードを統一することではなかった。私が既に言及したように、1998年「(世界)戦線」(正式には「ユダヤ人と十字軍に対するジハードのための世界イスラム戦線」)の樹立宣言以来、(世界がジハード運動に与えた)全ての注意、金銭、高名はビンラーディンのものであると見て取ったため、また、こうしたものを自分が手に入れるためにはビンラーディンと同盟を結ぶだけではだめで、彼の信奉者にならねばならないと知ったためだ。

「ビンラーディンはザワーヒリが合流した時、これが、無能力で、行き詰まった、一度も成功したことのない人物の参加であることをよくわきまえていた。(ビンラーディンは)ザワーヒリにいかなる活動も託さなかった。またザワーヒリには名前以外にビンラーディンに与えることのできるものは、シャリーアの分野であれ、軍事であれ、政治であれ、あるいは財政であれ、何もなかった。そこで、ビンラーディンは名前だけでザワーヒリの機嫌を取り、「アルカーイダ」の名前を「カーイダト・ル=ジハーディ」(ジハードの基地の意)に変えた。この名前を、ザワーヒリは強調することを切望した。同一の趣旨で、ビンラーディンは9・11の出来事を、それが起きる前ザワーヒリには知らせなかった。また、自分以外の誰もがメディアに登場するのを許さなかった。

「アルカーイダに参加した後、ザワーヒリはひとり、陽の当たらない生活を送った。彼はしばしば(アフガニスタン南部の都市)カンダハルのアルカーイダのメディア部門の事務所を訪れたが、これはカーリド・シェイク・ムハンマド指導下の活動の幾つかに参加するためだった。

「次いで、ザワーヒリが人生の夢を実現し、高名とスターダムを求める彼の願望を実現する絶好の機会がやってきた。9・11は、願望実現の(助けとなる)黄金の皿をザワーヒリにもたらした。ザワーヒリはこの画期的な出来事から、メディア上で大きな利得を引き出すことができた。この出来事にザワーヒリは一切役割を果たしていなかった。しかし、事件を引き起こしたのは、彼が3ヶ月前に参加した組織だったからだ。

イマームによれば、ザワーヒリが9・11攻撃をめぐって行ったことは、この攻撃に関するシャリーアの問題を全て巧みに釈明することだった。ザワーヒリは、9・11攻撃に反対する者は誰であれシオニスト・アメリカ同盟の利益に奉仕する者たちだと決め付ける一方、アフガニスタンのイスラム国家(タリバン政権の意)を破壊した責任は取っていない。

イマームは次いで、ザワーヒリが「預言者の後、あたかも(別の)無謬の人間が出現したかのように」ビンラーディンを「聖別」していると非難する。「奇妙なことは、ザワーヒリはこれまでずっとムスリム同胞団を批判しながら、同組織メンバーであるビンラーディンの信奉者になったことだ・・・」と続ける。イマームは、ザワーヒリがこうした態度を取った以下の3つの理由を挙げる。

1、9.11攻撃を通じ、ザワーヒリに高名を得る機会を最終的に与えたのはビンラーディンである。

2、ザワーヒリは、ビンラーディンの死後、その後継者になり「アルカーイダ」ブランドを受け継ぎたいと望んでいる。(イマームによれば)アルカーイダ・メンバーのほとんどが、ビンラーディンと理念ではなく、個人的なつながりのあるサウジ人かイエメンであり、彼らの忠誠を得るためにはビンラーディンを「聖別」しなければならないと感じている。(しかし、イマームの評価だと、サウジ人やイエメン人の忠誠を勝ち取ることにザワーヒリは成功しそうにない)。

3、アルカーイダの資金支援者は圧倒的にサウジ人であり、(支援金は)直接ビンラーディンの懐に入っている。ザワーヒリは、彼がビンラーディンを継ぐことができたあかつきには、この資金支援の一部でも確保しようと望んでいる。

イマームは次いで、目標の高名獲得の過程でザワーヒリが犯したとする過ちの全てを、改めて指摘する。ザワーヒリは1981年仲間のエジプト人イスラム主義者たちに不利な供述を行い、1993年仲間をスーダンの諜報機関に売り飛ばした。1998年「世界戦線」に参加してエジプト・ジハード団を破壊した。(つまり、ザワーヒリが「世界戦線」に参加したため、アメリカがエジプト・ジハード団メンバーに異例の注意を払うことになった)。彼とビンラーディンは「アフガニスタン人があたかも無価値な虫けらのように」、彼らにアフガニスタンの破壊を謝罪しようとは一度も考えなかった。2人はスーダンとアフガニスタンから長く保護を受けていた。しかし、2人はこの間金銭を得ていたにもかかわらず、「アフガニスタンの子供たち数百人が飢えと寒さで死んでいった時、2人は一度として道や学校や病院を建設しなかった」。アルカーイダはクルド人の(イスラム主義組織)「アンサール・イスラム」の斡旋でイラクに入ったが、間もなく同組織に背を向け、独立した活動を始めた。(イマームはこれを個人的な攻撃と捉えているようだ。というのも、イマームによると、彼の著作「ジハード準備の主題」をクルド語に翻訳した人こそ、アンサール・イスラムの精神指導者ムッラー・クレカルMullah Krekarだからだ)。結局、ザワーヒリは9.11攻撃を正当化するために宗教を偽ったのだ。

イマームはこの章を以下の言葉で結論付ける。「おー、ムスリムよ。アッラーのためのジハードは正しい。しかし、これらの人々(アルカーイダの意)と同種の者たちが、この高貴な大義を売り飛ばすことを許してはならない。彼らは若者たちを極端な犠牲に追い遣り、イスラムとムスリムに重い災難を引き込む。同時に、イスラムとムスリムが得ることは全くない。彼らが可能な限り関心を払うのは、自分たちの個人的安全と便宜である。※31

アルカーイダは反キリストのようである:ビンラーディンは本を全巻通して読むことができない

「潔白立証の正体を暴く」の最終部分のほとんどは、既に取り扱った問題から構成されている。しかし、イマームはアルカーイダの見せかけの信心深さに関し幾つか付け加える。彼はアルカーイダを暗にダッジャル(反キリスト)になぞらえ、以下の終末論のハディースを引用する。「ダッジャルは隠れて行動はしない。彼は東から来て、宗教に人々を呼びかける。人々は彼に従う。彼はこれを続けてクーファ(イラク中部)に達する。ここで彼は信心深さを披瀝し、宗教に従って行動する。人々は彼に従う。彼は人々に(宗教に従うよう)促す。次いで彼は自分が預言者であると主張する。これには、分別のある人々全てが警戒する。彼らはダッジャルと袂を分かつ。しばらくして、彼は『私はアッラーだ』と言う。彼の片方の目が盲目となり、片方の耳は切り離され、両目の間には『カーフィル(背教者)』の文字が書かれる。これはムスリムなら誰でも見える。心の中に芥子の種ほどしか信仰のない者ですら、ダッジャルのもとを去る」。次いでイマームは、宗教の擁護者として出発しながら、最後は宗教を悪用し、あるいは宗教に反対した者たちの例を挙げる。そして、アルカーイダが宗教とジハードについて言うことを真に受けないよう人々に呼びかける。 

別の部分は、アルカーイダのイスラムへの執着が表面的であり、イスラムを道具に使っている点を際立たせる意図がうかがえる。イマームはこう述べる。「1994年ビンラーディンがスーダンで興味を持った課題がある。そこで私は、ある本を読むようアドバイスした。ビンラーディンは私に言った。『私は、一冊の本を読み通すことができない』と。ビンラーディンの演説は、彼の信奉者が代筆している」。イマームが強調するところだと、ムスリムはアルカーイダのスローガンではなく、ウラマー(イスラム学者)に従うべきである。なぜなら、カリフが存在しない時代には、ウラマーが合法的な権威であるからだ。イマームによれば、この懸念のため、彼は初期の著作「宗教研究概論」を書いた。※32 実際、イマームがアルカーイダとの論争の心臓部と見なすのは、この問題である。

*ダニエル・ラブは、MEMRIの「中東・北アフリカ改編プロジェクト」の部長である。

注:

(1) ハヤート紙(サウジアラビア)のインタビュー、2007年12月9日

(2) MEMRI緊急報告シリーズNo.1785「ジハード主義の大物イスラム学者で、アルカーイダのジハード・イスラム法ガイドの著者・・・」2007年12月14日http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP178507 ;

および、MEMRI緊急報告シリーズNo.1826「ジハード主義の大物イスラム学者で、アルカーイダのジハード・イスラム法ガイドの著者サイイド・イマーム対アルカーイダ(2)・・・」2008年1月25日

(3) マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年11月18日

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP182608 .

(4)この節は、イマームが長年、タクフィールを正当化する主要な理由としてきた。「ジハード準備の基礎」p.297を参照。ここでイマームは同節を、攻勢的ジハードの教義の否定者が不信心者であることを示すために使っている。

(5)このアフマド・ジャザーイリーに言及している人物に、(アルカーイダのサウジアラビア支部である)「アラビア半島のアルカーイダ」の創設者ユースフ・ウヤイリ(Yusuf Al-Uyayri)がいる。彼によれば、ジャザーイリーは(パキスタン北西辺境州の州都)ペシャワールの小規模ながら、傑出した急進的グループの指導者で、同グループはムスリム学者に対しタクフィールを宣言した。しかし、タリバンと共闘することは許されないという理由で、ジハードには参加しなかったという。Risala maftuha li-fadilat al-sheikh Safar al-Hawali, p. 22. ウヤイリはアルカーイダの支持者であることから、彼がジャザーイリーの立場を代表して語ることはあまりに一般的過ぎる可能性がある。また、彼がタクフィールを宣言したのは「ムスリム学者」一般ではなく、アルカーイダに付属する学者だけという可能性がある。これは、イマームが述べるジャザーイリーの特徴と合致する。言及しなければならないことがある。イマームがジャザーイリーの師とするアブームハンマド・マクディシが、ムスリム学者に対するタクフィール宣言を原則的に避けていることだ。マクディシのImta' al-nazr fi kashf shubuhat murji'at al-'asr, p. 70, ft. 52 cont.

(6)マスリ・ヤウム紙(エジプト)、2008年11月19日

(7)ジャリーダ紙(クウェート)の「正しいガイダンス文書」2007年11月25日を参照。イマームはここで、こう説明している。「人間の楯」の議論はアメリカにおける攻撃には適用されない。なぜなら、かかる攻撃は攻勢ジハード(ジハード・アル=タラブ)と見なされるからだ。こうした区別はまた、ジハードを行うにあたって親の許可が必要という「正しいガイダンス文書」におけるイマームの立場を説明するものだ。イマームの言うところだと、親の許可は絶対条件である。次いで具体的に、こう述べる。攻勢ジハードでは親の許可が絶対に必要とされ、また、一部(イスラム法)学者によれば、幾つかの条件下では防衛ジハードでも親の許可が必要される、と。ジャリーダ紙(クウェート)2007年11月21日。(イマームはジハード・キファーイとジハード・アイニという言葉を使う。前者は、ムスリム共同体全体の義務とされるジハードで、攻勢ジハードにおける義務の形態でもある。一方、後者は、ムスリムそれぞれの個人の義務とジハードで、防衛ジハードにおける義務の形態でもある)。

ザワーヒリとマクディシを含め、イマームを批判する者たちによると、親の許可に関するイマームの立場は、イスラム法学における初歩的なミスである。ザワーヒリの主張によると、防衛ジハードにおいては親の許可は必要とされないのが全会一致の見解である。ザワーヒリは、「著者(イマーム)の宗教知識はどん底に転落した」と書き、イマームがこの見解に表立っては言及すらしないことに驚いている。「潔白立証」pp.72−73 アブームハンマド・マクディシによると、攻勢的ジハードと防衛的ジハードを区別することなく親の許可が(絶対的条件として)必要とすることは言語道断なミスである。なぜなら、防衛的ジハードにおいて親の許可が必要とされてはいないということは、「勉強を始めたばかりの学生(すら)知っている」。マクディシは、このことから次のように結論付ける。「正しいガイダンス文書」のこの部分などは、実際はイマームが書いてはいない、と。Su'al hawla ma nusiba ila al-shaykh sayyid imam min taraju'at, Ramadan 1429 (September 2008).

しかし、これら批判者とイマームの主張はかみ合っていない。というのも、イマームはアメリカに対するジハードを攻勢ジハードと捉えるからである。イマームのイラクとアフガニスタンにおける闘いに関するスタンスですら、ザワーヒリなどとは微妙に異なる。イマームは闘争を支持する。しかし、イマームの信じるところだと、(ムスリムと異端勢力の)力のバランスに差があるため(ムスリムの)勝利の希望はあらかじめ排除されている。こう考えれば、これらの場所(イラク、アフガニスタン)を古典的な防衛ジハードの範疇から外すことは妥当かもしれない。

(8)「潔白立証」p,167。(どうやらイマームは「潔白立証」の別な版を使っているらしく、ページ番号を193としている。ここで使っているページ番号は、ジハード主義ウエブサイトに掲載されたスタンダード版に対応している)

(9)イブン・タイミーヤ、「マジュムーナト・アル=ファタワ(ファトワ集)」3/267

(10)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年11月21日

(11)Ella Landau-Tasseron「ムスリムの法思想における非戦闘員」、Hudson Institute Research Monographs on the Muslim World、1/3。2006年12月

http://www.hudson.org/files/publications/MuslimMonograph_Dec2006.pdf .

(12)「人間の楯」に関しては、このほか以下を参照。MEMRI緊急報告シリーズNo.40,「シリア人亡命者、サラフィ主義者、アブーバシール・タルトゥシ(Abu Basir Al-Tartusi)師が自爆テロに反対を表明」2006年2月10日

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sr&ID=SR4006 .

(13)ジャリーダ紙(クウェート)2007年11月25日

(14)イマームが具体的に主張するところだと、アルカーイダは、イスラム法学の矛盾する法を調整するルールを知らない。それは、一般的な法が具体的な法によって限定されることである。このケースにおいて、同種報復の原則は一般的であり、その一方、殺意が許されない人々の範疇は具体的(な法)である。この結果、(一般的に許される)同種報復でも、殺害が許されない人々が殺害されるような場所での同種報復は許されない。参照。イブン・タイミーヤ「マジュムーアト・アル・ファタワ(ファトワ集)」21章262節

(15)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年11月22日

(16)MEMRI緊急報告シリーズNo.1785 「大物ジハード主義イスラム学者・・・」2007年12月14日

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=sd&ID=SP178507 .

(17)「潔白立証」p.85ff

(18)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年11月23日

(19)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年11月24日

(20)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年11月25日

(21)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年12月1日

(22)ザワーヒリはまた「潔白立証」で、自分が認めることは少数派の見解━ムスリムの訪問者に対する異端者の安全の保証は、ムスリムの側の、受入国に害を与えないという義務を必然的に伴うものではない━である、と肯定的に言及している。「潔白立証」p.93

(23)「潔白立証」p.4

(24)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年11月25日

(25)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年11月27日

(26)ビンラーディンのRisala ila Ibn Baz bi-butlan fatwahu bi'l-sulh ma'a al-yahud, 1415hRisala ila Ibn Baz bi-butlan fatwahu bi'l-sulh ma'a al-yahud, 1415hを参照。

hhttp://www.tawhed.ws/r?i=o7y62gtr .

(27)マスリ・ヤウム(エジプト)2008年11月28日

(28)参照。MEMRI研究・分析シリーズNo.444「イスラム法学の党派vs.行動の党派:サイイド・イマーム、アイマン・ザワーヒリ、及びジハード運動の分裂」2008年5月29日

http://www2.memri.org/bin/articles.cgi?Page=archives&Area=ia&ID=IA44408 .

(29)イマームによると、ムハンマド・ザワーヒリは後に、支配者に対するジハードの主張に復帰した。しかし、支配者が背教徒という理由からではなく、ムナーフク(偽善者)という理由からだ。ムナーフィクとは、表向きはイスラムに従うが、心中ではイスラムを否定している者である。イマームによると。ムハンマドの主張は完全にシャリーアに反している。なぜなら、誰がムナーフィクであるか、知っているのはアッラーだけである。こうした人間はイスラム法の見解ではムスリムとされ、彼と戦うことは(ムスリムにとって)禁じられる。マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年11月29日

(30)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年11月29日

(31)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年12月1日

(32)マスリ・ヤウム紙(エジプト)2008年12月2日


 

 

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