メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 緊急報告シリーズ
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THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

緊急報告シリーズ


 
Special Dispatch Series No 1184 Jun/14/2006

イラン革命は革命の子供達を抹殺し、コースからはずれた―ホメイニ師孫息子のイラン体制批判―

イラン・イスラム共和国の建国者ホメイニ師(Ayatollah Ruhollah Khomeini)の死去17周年に際し、アル・アラビヤTVのサイト(www.alarabiya.net )が、ホメイニ師の孫息子フセイン・ホメイニ(Ayatollah Hussein Khomeini)にインタビューした。インタビューのなかで、フセイン・ホメイニは、イランの現体制を「国民生活のすべてを統制する聖職者の独裁」と批判し、体制破壊と政権打倒のために外国の介入を求めた※1。

フセイン・ホメイニは、イスラム法学者による支配≠ノついて論じ、それはシーア派の宗教規範にもとづかず、革命前の聖職者迫害にかかわる歴史的事由を背景としたもの、と述べた。

革命は、自由・民主々義の原則を放棄して、その元来のコースからはずれ、今みるような形態になってしまった、とホメイニは批判する。そして、爆弾や兵器に頼らず、この原則を身につけた時イランは初めて本当の力をつける、と主張した。

イラン政府はフセイン・ホメイニをこの3年間軟禁状態におき、政府批判をするためイランメディアとの接触を禁じてきた※2。

以下そのインタビュー内容である。

国力は兵器から生まれず、自由と民主々義によって築かれる

イランは、自由と民主々義が根付いていけば、(本当の)力をつけることになる。国力は兵器と爆弾から生まれない…。

イスラム法学者による支配(velayat-e faqih)には反対である。(イスラム)革命の当初、このシステムの導入は、革命の主要原則のひとつではなかった。実際に、これは私自身目撃しているのである。しかし、宗教委員会とセミナリーで支配的だった聖職者達の態度から、これが変ったのである。

宗教上の見地には、二つのアプローチがあった。第1はこのシステムの導入に反対する立場で、当時シーア派法学者の最高権威(marja`)であったアブ・アルカセム・コイ師(Ayatollah Abu Al-Qassem Khoi)が、その立場であった。第2がシステム導入賛成派である。しかしこのアプローチは宗教上の考慮にもとづくものではなく、歴史上のファクターに由来していた。宗教セミナリーは長い間、特にパーレビ時代(Reza khan Pahlavi 1921-1941)に迫害されていた。聖職者達は、隠忍自重して権力掌握の時を待った。今に見ていろその時は、というわけである。このアプローチは、ターバンを巻いた連中の多くが、心に抱いていた。私は宗教学者≠ニは言わない。故ホメイニを(このカテゴリーに含めない)ためである。

革命は指導者達を迫害した

祖父の革命はその(革命の)子供達を破滅させ、コースからはずれてしまった。私はこの革命を生きてきた。革命は自由と民主々義を求めていたのだ。ところが、その革命は指導者達を迫害した。例えばタレカニ師(Ayatollah Mahmoud Taleqani)は、パーレビ政権時代頻繁に投獄され、革命後は法の侵害を非難したため、(政権に)激しく弾圧された。そのため師は嘆き悲しみ、抗議しつつ身を隠した。師は革命評議会の設置に反対した。評議会は勝手気侭、目茶苦茶な支配をやった。師の家族も迫害された…。

革命は社会の根底をゆさぶった。革命前その社会は保守的で、自由を拒否していた。革命が社会に民主々義と自由を受入れる準備をさせた。この革命のおかげで、教育をうけた層から農民や女性まであらゆる階層が、自由を享楽できる筈であった。政治的目覚めもあった。

追放されたパーレビの息子と会ったが、それは、私の苦しみを共有する人との出会いであった。我々の苦しみの原因はひとつ、それも同じであった。即ち独裁主義である。二人は(政治的)立場を異にはするが…。

もし自分が権力を掌握するなら、まずヒジャブ(かぶりもの)の着用は、個人の選択にまかせるとする法律を通す。イランの政権は、黒のベール着用を強要し、最も醜悪な形で女性を束縛しているのである。色は必ずしも黒ではなくてよいのに。学校或いは大学から出てくる女生徒、女子学生はまさに葬儀帰りのようである。ヒジャブはかぶるもかぶらないも或いは拒否するも、個人の問題なのである。祖父ホメイニの女性親族の多くは、ヒジャブを着用していなかった…。

ホメイニの孫息子、外国軍のイラン介入を求める

このアル・アラビヤ サイトは、「フセイン・ホメイニは、アメリカのブッシュ大統領のイラン進攻と占領を呼びかけ、内部の動きや外部からの介入の如何を問わず、どのような方法でもよいからイランに自由が来なければならない。もしあなたが囚人ならどうする。誰かに監獄の壁をこわして貰いたいだろう、と主張」と報じた。

フセイン・ホメイニはインタビューの終りに、自分の父ムスタファは、今日まで犯人不明であるが、誰かに毒殺されたのだ、と述べた※3。

※1 フセイニ・ホメイニは、1958年テヘランに生まれた。1965年家族と共にイラクへ移住し、そこで宗教ゼミナリーに学んだ。1968年イラクでバース党の革命が発生した後、イランへ戻っている。彼は「リベラルな宗教人」と自己規定している。

※2 2006年5月31日付

http://www.alarabiya.net/Articles/2006/05/31/24251.htm

※3 アル・アラビヤのサイトは、ムスタファ・ホメイニの死が1979年のイスラム革命勃発の主たる誘因であった、と書いている。


 

 

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