メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 緊急報告シリーズ
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THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

緊急報告シリーズ


 
Special Dispatch Series No 1268 Aug/30/2006

ガザの惨状は我等の責任―ハマス政権スポークスマンの自己批判

PA(パレスチナ自治政府)スポークスマンのハマッド(Dr.Ghazi Hamad)がPA日刊紙Al-Ayyamで、ガザ回廊の現状に関連して、ハマス政権の行状とパレスチナ人の抵抗を、痛烈に批判した。以下その自己批判の記である※1。

ガザの現実は悲惨、失政の一語に尽きる

私は我々の行為を差し引き計算し、我々が犯した過ちを自己批判したいと思う。これまで我々は結果責任をとろうとせず、いつも他人のせいにしてきた。我々は我々自身の過ちについて、正直に語ることをいつも避けてきた。

アナーキー状態、混沌、無意味な殺人、土地の分捕りあい、恨念にみちた家族同士の反目、闘争等々、占領と一体何の関係があるというのだろう。我々はいつも自分の失敗を他人のせいにしてきた。そして我々の社会では、陰謀論が相変らずもてはやされている…。

我々は失敗につぐ失敗を重ねてきた。その失敗の責任は各人にある。自分の失敗で自分をいためつけているのである…。

ガザの自由を例にとろう。嘗て我々は、何度も何度も、1インチたりとも土地を解放していくと主張した。今日我々は何万インチも手にしている。365平方キロだ。それにも拘わらず我々は、この大いなる祝福を維持し得ず、失い始めている…。

統計をひとつ見ても判る。イスラエルのガザ撤収以来500人のパレスチナ人が殺され、3,000人を越える人が負傷した。身体障害者になった者が200人、150棟以上の家が破壊された。そのほか橋梁や発電所などのインフラも破壊されたのだ。これに対し(パレスチナ側の)ロケット攻撃によるイスラエル人の死亡は、たかだか3〜4名である。我々がもっと智恵を働かせていれば、損害を局限し、さまざまな業績を大いにあげることが、可能だったのではなかろうか…。

ガザのまわりを歩くと、その現実に思わず目をそむけたくなる。そこは言語に絶するアナーキー状態にある。警官がいても、完全に無視されている。年端もいかぬ子供達が自慢気に武器を携帯し、メインストリートのど真中に弔問用のテントが張られ、誰それが真夜中に殺され、翌朝すぐに報復があったと、よく耳にする。部族間抗争のため大家族の者が武器を持って徘徊する。今やガザはゴミ溜めと化している。至るところ悪臭が漂い、下水が町の中を小川の如くに流れる。

政府は何もできない。反対派(ファタハ)は、我不関と傍観するばかり。どこもかしこも内部抗争だらけ。大統領は力がない…我々は目的もなく通りを歩くのみ。我々が居住するガザの現実は悲惨、失政の一語に尽きる。我々は選挙とユニークな民主的体験を自画自讃した。しかし現実は後退につぐ後退である。我々はナショナルコンセンサスについて大いに語ったが、結局それは強風にあおられる一片の葉にすぎなかった…。

我々は抵抗とその勇気の実績に敬意を表する。しかしそれも、ギャングもどきの抗争を含め、沢山の過ちを犯した。自分の目に映るのが正しい、と誰もが考えてしまう。抵抗を補完する政治上の共通目的がないため、抵抗は各派間の競合の様相を呈し、互いに(犯行)声明をだして戦果を誇り、それぞれに軍事パレードをやって威示行動にでる。これまで統一行動は全くなく、その考えを耳にしたこともない。過ちを犯しても、正直に話すことがない。それは抵抗に反対していると言われるのがこわいからである。そこですべての者が過ちをカバーアップし、口をつぐんでしまう。

住民の生活を改善するため、ラファの検問所再開に多大の努力が払われた。すると誰かがそこへミサイルをぶちこむのである。タフディアフ(平穏)の必要性について話合いがあると、また誰かがミサイルを発射する。実情はこのように奇妙である…。

この地が腐敗、汚職、犯罪、殺し合いにまみれ、混沌の極致にある時、抵抗で何が得られるのだろう。私はいつも自問している。郷土建設は抵抗の一部ではなかったのか。清潔、秩序、法の遵守は、抵抗がめざしたものではなかったのか。社会的関係の改善強化は、占領体制の終焉加速策の一環ではなかったのか。我々は、抵抗とその目的の結びつきを失ってしまった。統一とか組織化はまるで無く、ばらばらで右往左往するばかりである。

外人記者の拉致誘拐は、今や商売となった。パレスチナの大義が傷つくとか、世界の目からみてそのイメージがそこなわれるといったことは考慮の埒外。自分の派がスポットライトを浴びて、トップで報道されるのであれば、それでよし。あとは野となれ山となれである。

もっともらしい会議と発表、声明に我々自身が自嘲する。全く現実を無視しているからである。我々は言語明瞭意味不明なことを喋り、いつも無駄骨を折り、我が人民の血を抜きとり、一瞬の平和さえ奪っているのである。互いに殺しあって沢山の家族が犠牲になり、悲惨な生活に呻吟する。多くの者が(絶望の)叫びをあげるが、誰も聞く耳をもたない。

ガザに語慈悲を。通りのギャング支配から、この混沌から、武器の不法所持から、そしてギャング共から、我々をお救い下さい。血みどろの抗争と過激な言葉をなくして下さい。党派より郷土を優先するように…。

多くの人が私の主張を受入れるだろうが、なかには受入れず或いは聞きたくない者もいるだろう。なかには、あら探しをして、もっともらしいことを言う者もいよう。しかし、アッラーが私の証人である。私はガザとその住民のため(我が郷土のため)を思って、この記事を書いている。我が人民に希望を与えたいがために、書いているのである。

私が書いたことは、占領に対する発言に反駁するものではない…しかし今回は、人民の良識と関心をもとに自分自身を公正に判断して貰いたい。総決算或いは自己責任を回避すれば、痛みは益々強く、傷口を開げるだけになる。少し勇気をもとうではないか。そしてここは正しい、ここは間違っていると正直に言おうではないか。ガザと郷土の容貌を変えるには、これしかない。

※1 2006年8月27日付 Al-Ayyam(PA)


 

 

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