メムリ(MEMRI) - 中東報道研究機関 特別記事
 




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THE MIDDLE EAST MEDIA RESEARCH INSTITUTE

MEMRI TV Monitor Project


 
Clip No. 1050 Mar/22/2006

起きているのは中世と21世紀の精神構造の衝突、文明の衝突に非ず ―アラブ系アメリカ人心理学者の発言―

2006年2月21日、アル・ジャジーラTVが、ワファ・スルタン(Wafa Sultan)のインタビューを放映した。同日MEMRI TVが、モニターしたこの番組をTV monitor project

10として掲載したところ、100万件を越えるアクセスがあり、大きな反響を呼んでいる。その後MEMRIは3月7日付Special Dispatch Series 1107のなかにも掲載している。ワファ・スルタンはアラブ系アメリカ人心理学者。以下そのインタビュー概要である。画像で見る場合は、次を参照。

http://www.memritv.org/search.asp?ACT=S9&P1=1050

文明は衝突しない、競い合う

ワファ・スルタン

世界中で我々が目撃している衝突は、宗教上の衝突ではないし、ましてや文明の衝突でもありません。これは、相対する二つの状況、二つの時代の衝突なのです。つまり、中世時代の精神構造と21世紀に属する精神構造の衝突です。文明と後進性、文明社会と原始社会、合理と野蛮の衝突なのです。それは、自由と抑圧の衝突、民主々義と独裁の衝突といってもよいと思います。人権と人権拒否の衝突であり、女性を家畜のように扱う体制と人間として扱う体制との衝突でもあります。我々が目撃しているのは、文明の衝突ではありません。文明は衝突しません。競い合うのです。

記者

仰有っていることから察するに、西側の文化とムスリムの後進性や無知との衝突、と理解してよろしいのですね。 

ワファ・スルタン

そうです。その通りです。

記者

文明間の衝突という概念を提示したのは誰ですか。サムエル・ハンチントンではなかったですか。ビン・ラーデンが言ったわけではありません。よろしければ、この問題について話合いたいのですが…。

文明の衝突を言い出したのはムスリム

ワファ・スルタン

この表現を使い始めたのはムスリムです。文明の衝突を言いだしたのはムスリムなのです。イスラムの預言者は、「人と戦え、その人がアッラーとその預言者を信じるようになるまで戦えと命じられた」と言いました。ムスリムは人間をムスリムと非ムスリムに区別し、後者が前者の信仰を受入れるまで戦え、と呼びかけます。そしてその時から、この衝突を開始し戦争を始めたのです。この戦争を開始するため、彼等はイスラムの啓典やら教えやらを調べ直す必要がありました。ちなみにそのテキスト類には、タクフィール(他者を不信心者呼ばわりすること)や異教徒と戦えといった言葉が充満しています。

常日頃私の同僚は、自分は他者の信仰をくさしたり攻撃したりすることを絶対しない、と言っています。自分には絶対使わない言葉を他者に対しては使う。これを認める文明なんて、一体どうなのでしょう。或る時は他者をズインミー(人頭税を払って保護される者)と呼び、或いはムスリム以外の啓典の民と呼び、更には猿共とか豚共と呼ぶ。キリスト教徒を「アッラーの怒りを招いた者」と決めつける。誰がキリスト教徒を「啓典の民」と呼ばせたのですか。彼等は啓典の民ではありません。彼等はさまざまな書を持つ人々なのです。現在あなた方が手にしている有益な学術書類は、全て彼等が産みだしたのです。自由で創造的な思考の産物なのです。それを「アッラーの怒りを招いた者」とか「道を踏みはずした者」と呼ぶ。 一体どういう権利でそんなことが言えるのですか。しかも、そう言いながら、自分の宗教は、他者の信仰をおとしめることは慎めと命じているなどと主張する。一体どういうことでしょうか。

私はキリスト教徒ではないし、ムスリムでもユダヤ人でもありません。私は世俗の人間です。私は超自然的なことを信じません。しかし私は、他者にそれを信じる権利があることを認めています。

個人の領域に介入しないで欲しい

アル・ホウリ(Dr. Ibrahim Al-khouli

あなたは異端ではないのですか。

ワファ・スルタン 

あなたは自分の好きなように言ったらよいでしょう。私は、超自然的なことを信じない世俗の人間です…。

アル・ホウリ

あなたが異端なら、今更とがめだてをしても始まらない。イスラム、預言者、コーランを冒涜してしまったからです…。

ワファ・スルタン

そんなことは個人的な問題であって、あなたに云々される筋合いのものではありません。

あなたは、石を信じたっていい。私にその石を投げつけない限りはです。自分の好きな者を崇拝することも自由です。しかし他者の信仰に介入するのは余計な御世話というものです。メシアは神か、マリアの息子がメシアか、サタンは神か、マリアの息子がそうか。他人がそんなことを信じているかどうか、あなたが口をはさむことではないでしょう。

他者は信仰の名目で人を殺さない

ユダヤ人は(ホロコーストの)悲劇を経験しましたが、世界を感服せしめました。テロではなく知識で尊敬をかちとったのです。怒号や絶叫ではなく知の力で感服せしめたのです。19世紀、20世紀の科学の進歩発展上、人類はユダヤ人科学者に負うところ極めて大なのです。ユダヤ人口1500万。世界各地に散在しますが、力を合わせ仕事と知識で権利をかちとったのです。ドイツのレストランで自爆するようなユダヤ人は、ひとりもいませんでした。キリスト教の教会を爆破したユダヤ人も、ひとりだっていなかったのです。人々を殺しまくって抗議と称したユダヤ人など、ひとりもいませんでした。

ムスリムは、(バーミアンの石窟)仏像3体を爆破し、こなごなにしてしまいました。我々は、モスクを焼き打ちにしたり、ムスリムを殺したり、或いは大使館を焼き打ちにする仏教徒を、ひとりでも見たことがありません。自分の信仰を守ると称して教会を焼き打ちしたり、人を殺し或いは大使館を破壊しているのは、ムスリムだけです。このやり方、この道は何の成果も生みません。ムスリムは、人類は自分達を尊敬せよと要求する前に、人類のため自分達に何ができるか、と自問しなければなりません。


 

 

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